次世代に伝えたい! 〇〇発祥の地、奈良
掲載日:2024年3月25日
1300年を超える歴史と、さまざまな文化があふれる古都・奈良。この地には、清酒や大和茶など、「奈良発祥」とされるものが多く存在します。今回は奈良県にルーツがあるといわれる、伝統食や菓子、伝統の技をご紹介いたしましょう。
奈良で生まれ、受け継がれてきた食と技
【目次】
奈良の柿の葉と、紀州のサバが出会って生まれた!?「柿の葉寿司」
酢飯に梳いたサバや鮭などをのせ、柿の葉で包んだ「柿の葉寿司」。全国的に有名で、奈良のおみやげとしても大人気です。でも、なぜ海がない奈良で、寿司が名産品になったのでしょうか。
柿の葉寿司の産地は、奈良県中部の吉野川流域といわれます。所説ありますが、江戸中期に紀州の漁師が、重い年貢を工面するために熊野灘でとれた夏サバを塩で締め、天秤棒に担ぎ、険峻な山を越えて吉野川沿いの村々へと行商に出かけたのが始まりだといわれています。ちょうどその頃、吉野の村々では半夏生の祭り(初夏に行う、田の神に感謝をする行事)が行われており、柿の葉寿司が祭りのご馳走となっていったという説もあります。山奥に住む人たちにとって、魚は貴重な食べ物だったことでしょう。
酢飯を柿の葉で巻くのは、携帯するのに適しているからというのもありますが、飯の乾燥や腐敗を防ぐ目的もありました。柿の葉には抗菌・抗酸化作用のあるタンニンが多く含まれ、巻くことで保存性を高めていたと考えられています。しかも奈良は柿の一大産地。海の幸が貴重な山村で、柿の葉寿司は魚をおいしく食べるための保存食だったのでしょう。
先人の知恵が詰まった柿の葉寿司、ぜひご自宅でも味わってみてはいかがでしょうか。
《奈良専門オンラインショップ「ならわし」でおすすめの柿の葉寿司店》
ゐざさ 中谷本舗 <吉野郡上北山村>
柿の葉すし かじか <吉野郡天川村>
徳岡 <吉野郡川上村>
平宗 <吉野郡吉野町ほか>
柿の葉ずし ヤマト <五條市ほか>
よいよい <吉野郡下市町>
和楽路屋田中(わらじやたなか)<吉野町上市>
日本酒とともに伝統を紡いできた「奈良漬」
上品な琥珀色と、ふわりと立ち上る日本酒の薫り。食べると独特の酒粕の味わいが口に広がります。奈良漬は熟成させた酒粕に、塩漬けした野菜を漬け込んで作られます。1年以上かけて、酒粕に何度も漬け替えることで野菜の塩気が取れ、うま味がギュっと凝縮されていくのだとか。
酒に漬けた野菜を食する習慣は奈良時代からあったようで、長屋王邸跡(奈良市)の出土木簡に「進物加須津毛瓜(たてまつりものかすづけうり) 加須津韓奈須比(かすづけかんなすび)」の記述がみられます。当時は濁り酒の沈殿物に野菜を漬け込んだものを、保存食として珍重していたようです。
中世以降、奈良市の正暦寺で酒造技術が確立され、濁り酒は「清酒」と「酒粕」に分けられるようになります。その酒粕に塩漬け野菜を漬けたものが、奈良漬の原型です。その後、江戸時代になると、奈良の中筋町に住んでいた漢方医・糸屋宗仙によって、初めて商品として売り出されました。
《奈良専門オンラインショップ「ならわし」でおすすめの奈良漬店》
寿吉屋<奈良市>
奈良屋本店<奈良市>
森奈良漬店<奈良市>
渡来人によって奈良で誕生した、甘い餡入り「饅頭」
祝いの席に欠かせない和菓子、饅頭。元は中国原産で、中国では点心のように肉や野菜を包んだ(またはなにも包まない)「料理(軽食)」として食べられていました。一説よると、南北朝時代に、帰国留学僧とともに中国から渡来した人物、林浄因(りんじょういん)によって、日本に「饅頭」の製法がもたらされたと伝わります。林浄因は肉食が禁じられている僧侶のために、小豆を甘葛(あまづら)というツタ植物から抽出した樹液(=甘葛煎。あまづらせん)で煮詰めて、甘い小豆餡を創作。これを生地に包んだ「甘い饅頭」を日本で初めて作り出しました。甘い饅頭は茶会の席などでもてはやされ、その後、饅頭は奈良の名物になるとともに、日本各地に製法が広がっていったといいます。
《奈良専門オンラインショップ「ならわし」でおすすめの和菓子(饅頭)店
梅ぞの<北葛城郡広陵町、橿原市>
春日庵<奈良市>
御菓子司昇栄堂<宇陀市>
本家菊屋<大和郡山市、奈良市ほか>
萬々堂通則<奈良市>
林神社(漢國神社内)DATA
住所 | 奈良市漢國(かんごう)町 |
---|---|
TEL | 0742-22-0612 |
拝観料 | 境内自由 |
駐車場 | 6台 |
交通(公共交通機関) | 近鉄「奈良駅」下車、徒歩5分 |
生産量は全国トップ!下市町の「割り箸」
林業が盛んな吉野郡下市町は、割り箸発祥の地です。ここでは国内生産量の約70%を占める、吉野杉の割り箸が作られています。
下市町と割り箸の縁は南北朝時代に遡ります。南朝の後醍醐天皇に、下市の里人が杉箸を削り、献上。天皇はその芳香と木目の美しさを尊ばれ愛用したことで、貴族や僧侶などに徐々に広まったのだとか。江戸の寛政年間(1789~1801)には割り箸の製法が改善され、安政年間(1855~1860)には千利休考案の「利久箸(※)」の生産に携わったことで、下市町はその名を一層高めました。明治大正期にはその販路を全国区に拡大、下市町は地場産業として大きな発展を遂げました。江戸期は吉野杉の酒樽の端材を用いていましたが、現在は主に建築材の端材を用い、自然を大切にする心を受け継いだ割り箸作りが行われています。
※利久箸…両端が細く、中央に膨らみがある最高級割り箸。茶席など、客をもてなすときに利用されることが多い。
《奈良専門オンラインショップ「ならわし」でおすすめの割り箸》
【国栖の里観光協会<吉野町>】
吉野杉天削げ箸と箸トングのセット
吉野杉らんちゅう箸
吉野和紙人形 杉赤身角箸
最後に
今回のテーマ、「奈良発祥の〇〇」はいかがでしたでしょうか。
奈良名産といわれる柿の葉寿司や奈良漬は知っていても、饅頭や割り箸が、奈良にルーツがあることをご存知の方は、さほど多くないと思います。
今回ご紹介した「食」や「技」は、まさに奈良の魅力そのもの。そのルーツだけでなく、受け継がれてきた味や技の素晴らしさは、ぜひ次世代にも伝えていきたいものですね。
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