vol.6 日本初の本格的な都・藤原京 in橿原市
掲載日:2014年10月21日
①藤原宮跡
古代の橿原は時代の最先端都市だった!
こんにちは。ボク、こだいちゃん。橿原市のことなら何でも知ってるけど、古代のことは特に詳しいんだ。ところでみんなは、日本で初めての本格的な都はどこか、知ってる?え?平城京?残念でした~、答えは藤原京!いまから約1300年前のことなんだ。壬申の乱を収めた天武天皇は、676年に新しい都づくりに取り掛かったんだけど、天皇が686年に亡くなると工事も中断してしまうんだ。でも奥さんの持統天皇が遺志を継いで690年に工事を再開、4年後に遷都を果たすんだ。都ができるまで約20年も掛かったんだね。
こうして創られた藤原京は東西5.3km、南北4.8km。なかでも一番重要な区域が、都のほぼ中央に置かれた藤原宮(①)だったんだ。東西、南北約1km、そこには政治や政務を行う大極殿(だいごくでん)や朝堂院のほか、天皇の住まいである内裏(だいり)や役所もあって、周りは塀と溝で囲われ、12の宮城門(きゅうじょうもん)が設置されていたんだ。特徴的なのは内裏や役所以外は全部瓦葺きだったこと。飛鳥時代の宮殿に瓦は使われなかったから、みんなびっくりしただろうねえ。ここで政治を行った天皇は持統・文武・元明の3代。都があった期間は694年~710年の16年間だけだったけれど、大宝律令の制定や和同開珎(わどうかいほう)の鋳造など律令国家としての国づくりの基礎が築かれた、大きな16年間だったんだ。
この藤原宮を囲むようにあるのが大和三山。北が耳成山(みみなしやま)で、女性の悲話を伝える古池が南側にある(②)。東が香具山(かぐやま)。持統天皇の「春過ぎて夏来(きた)るらし白栲(しろたえ)の衣乾(ほ)したり天の香具山」で有名だね(③)。西は畝傍山(うねびやま)。山麓には橿原神宮が祀られている。黄花コスモス越しの耳成山(④)、本薬師寺跡(⑤)周辺に咲くホテイアオイ越しの畝傍山(⑥)は夏の新名所で、大勢の人が見に来てくれるんだ。秋には色とりどりのコスモスも咲くよ。大極殿跡からまっすぐ南には都のメインストリート・朱雀大路の跡(⑦)がはっきり見えるよ。都の全体を知るなら、藤原宮跡の西にある橿原市藤原京資料室(⑪)を訪ねてね。
それと、橿原市には全国的に有名な古墳も多いんだよ。畝傍山の南西方向にある新沢千塚古墳群(⑧)は総数約600基、5世紀末から約100年にわたって築かれた群集墳で、ガラスや装飾品などシルクロード由来の副葬品が出土した126号墳は「地下の正倉院」とも呼ばれているんだ。古墳群を歩く前に「歴史に憩う橿原市博物館」(⑨)にぜひ立ち寄って!副葬品や被葬者のことがよくわかるし、橿原市全体の歴史についてもわかるようになっている。1階では考古遺物の整理作業も行われていてガラス越しに見学できるよ。益田岩船(ますだのいわふね、⑩)もぜひ見て欲しいな。削りかけの石槨(せっかく)がど~んと置かれていて大きさに圧倒される。そのままになった理由を想像するとワクワクしちゃうんだ!
橿原市 かしはらし TEL0744-21-1115(橿原市観光課) |
スポット紹介
②耳成の池の悲しい伝説を伝えているよ | ③「春過ぎて…」持統天皇の有名な歌だね | ④夏に咲く黄花コスモスと耳成山だよ | ⑤藤原宮跡の南西に残る本薬師寺の礎石 |
⑥畝傍山を背景に咲く一面のホテイアオイ | ⑦大極殿跡へまっすぐに伸びる朱雀大路跡 | ⑧古墳が至るところたくさんある新沢千塚古墳群 | ⑨歴史に憩う橿原市博物館には資料もいっぱい |
⑩古墳の石槨だという益田岩船は圧巻! |
こだいちゃん 出身地:橿原市 藤原京創都1300年を記念した「ロマントピア藤原京'95」のマスコットとして誕生。2010年に橿原市観光PR キャラクターに任命されました。若草色の古代衣装に、香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の大和三山をイメージした烏帽子(えぼし)が印象的。橿原市のもう1人のキャラ、肉食系女子の「さららちゃん」とは好対照な草食系男子です! |
こだいちゃんがいく 南都銀行橿原支店
南都銀行橿原支店は、近鉄大和八木西口駅とJR 畝傍駅にほど近い、橿原市街の中心地にあるよ。400m ほど北には観光の拠点・大和八木駅もあって、とっても便利なところなんだ。
行員さんたちと記念写真♪ | 通帳をつくったよ! |