第139回 勝手に奈良検定
問題1 |
この鹿は、いったいどこにいるでしょう? 1.旧JR奈良駅前 |
正解は、3の「奈良国立博物館前」。
写真の中にはたくさんのヒントが隠されていますよ。まず目を引くのは、池の中を慣れた感じで進む鹿。体には白い斑点がたくさんあるので、写真が撮られた季節が夏だとわかります。気持ちよさそうですね。鹿の先にあるのは、池の中ノ島のようです。後ろの大きな建物の壁には、四角と半円形のふちのようなものが見えています。四角いのは角形のメダリオン、半円形のものは壁龕(へきがん、ニッチ)で、明治時代に建てられた西洋建物の壁にはよく見られます。西洋の場合はレリーフを刻んだり彫像が置かれたりしましたが、日本ではどう生かしていいのかわからず、空白になっている建物も多いようです。つまり池の背後には、明治時代の壮麗な建物があることがわかります。
最大のヒントは、中ノ島に建つ大きな「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」です。「宝筐印陀羅尼(ほうきょういんだらに)」というお経を入れた石塔で、鎌倉時代には供養塔、墓塔として各地に建てられました。写真の宝篋印塔は鎌倉時代(13世紀)のもので、四方に彫られている種子は、大日如来を表わしています。どっしりとした姿から、古様のつくりとされます。以上、鹿が暮らしやすい場所、明治期の建物がある場所、宝篋印塔が中ノ島にある場所、というヒントから、写真の場所は「奈良国立博物館(なら仏像館)前」だとわかります。奈良国立博物館では10月28日(土)から11月13日(月)まで「第69回正倉院展」が開催されます。ええ古都ならの特集コーナー「異国情緒あふれる天平の至宝『第69回 正倉院展』に行こう!」では今年の注目の宝物を紹介中!ぜひご覧ください!
問題2 |
東大寺や興福寺をはじめ日本各地に名作を遺す仏師運慶。その子どもではないのは、次のうち誰でしょう。 1.湛慶 |
正解は、4の「康慶」(運慶の父)。
鎌倉時代初期の仏師・運慶は、朋友快慶と共に、数々の名作をいまに遺した日本一有名な仏師といっても過言ではありません。静なるイメージの強い快慶作品とは対照的に、躍動感に満ちた力強い作品群は、多くの仏像ファンを魅了してくれます。奈良県に遺る代表的な作品には、20代で彫ったデビュー作として名高い円成寺の大日如来坐像や、興福寺仏頭(旧西金堂本尊)や北円堂の阿弥陀如来坐像、わずか69日間で快慶と共に造ったという東大寺南大門の金剛力士像や、運慶作が有力とされる重源上人坐像など、傑作ばかりがずらりと揃っています。
運慶や快慶などのように名前に「慶」がつく一派は「慶派」と呼ばれました。もとは奈良仏師の傍流でしたが、鎌倉期に至って一気に隆盛します。現在一般に慶派の祖とされるのは、運慶の父「康慶」です。快慶はこの康慶を師と仰ぐ運慶の兄弟弟子です。また運慶には少なくとも6人の息子がいました。長男から順に、湛慶、康運、康弁、康勝、運賀、運助といい、運慶と共に造像に携わりました。例えば興福寺では、南円堂の持国天=長男湛慶、増長天=次男康運、広目天=3男康弁、多聞天=4男康勝、北円堂の世親像=5男運賀、無著像=6男運助、という具合です。慶派の名前にはやがて「康」を用いることが多くなりました。大工房で歴史に残る作品を遺した慶派は、江戸時代まで継承されました。