第153回 勝手に奈良検定
問題1 |
佐保川にある写真の桜を植えたといわれる人物が、赴任しなかった土地は、さて、どこでしょう。 1.奈良 |
正解は、4の「日光」。
まず、この桜を植えた人をご存知ですか。川路聖謨(かわじとしあきら、1801~1868)という旗本です。佐保川にいまも大きく枝を広げるこの桜は、「川路桜」と呼ばれます。その名がつく通り、川路聖謨は幕末に奈良に赴任し、奈良奉行として活躍しました。江戸時代、大名が治める藩とは別に、長崎・京都・堺・伏見などの幕府の重要な直轄地は、旗本から選ばれた奉行が治め、遠国奉行(おんごくぶぎょう)と呼ばれていました。川路聖謨は低い身分に生まれましたが、川路家の養子に入り、その優秀さを買われて出世、佐渡奉行・奈良奉行・大坂東奉行などを歴任しました。
聖謨は、水野忠邦が老中だった時代に重用されましたが、忠邦が天保の改革で挫折し失脚した後、弘化3年(1846)に奈良奉行に着任しました。実は、左遷されたのです。そのためか、来たばかりのときは奈良を毛嫌いしていましたが、次第に奈良のよさや面白さに気づきはじめ、やがて神武天皇陵を探させたり、桜や楓の植樹を行ったり、貧民救済策を行ったりなど職務に尽力し、名奉行として名を上げることになります。母へ向けた手紙を集めた『寧府紀事(ねいふきじ)』には当時の奈良の風俗、慣習がユーモアや皮肉を交えながら克明に記されており、非常に貴重な史料となっています。のちに外国奉行にまでなりましたが、倒幕の嵐が吹き荒れる慶応4年(1868)、割腹の上ピストル自殺。無血開城した江戸幕府に殉じたともいわれています。いまも美しく花開く川路桜。ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょう。
問題2 |
次のうちまちがっている組み合わせはどれでしょう。 1.筒井氏×一乗院 |
正解は、2の「大内氏×大乗院」。
大内氏は周防(すおう)・長門(ながと)・石見(いわみ)などを治めた、西日本を代表する戦国大名です。日本に仏教を伝えたとされる百済(くだら)の聖明王の後裔と称していました。最盛期には山陽・山陰・北九州を実質的に支配していたたいへん勢力のあった大名で、その子孫を名乗る大内氏は各地に存在していますが、奈良とはゆかりのない大名でした。それに対して、他の3氏は、いずれも奈良にゆかりのある国人領主(国衆)です。大和国は他の国に比べて寺社の勢力が強かったため、大きな土地を所有する大名が生まれず、興福寺や春日大社などに仕えた国人領主が、寺社勢力のもとで土地を支配していました。筒井氏・越智(おち)氏・十市(とおいち)氏などはその代表例です。
ところで、いまも奈良の大きなお寺の境内には、塔頭と呼ばれる僧侶の住居がみられます。古代や中世の寺院には、もっとたくさんの塔頭がありました。興福寺では塔頭のことをを子院と呼んでいます。ところでこの子院は、みな同格かというとそうではありませんでした。それは公卿の子弟が入寺し、院家と呼ばれる貴族色の強い子院がつくられていったからです。院家では、高貴な人が住職を務め門跡(もんぜき)と呼ばれるようになりました。興福寺の門跡寺院は一乗院と大乗院で、一乗院は天禄元年(970)に定昭が、大乗院は応徳4年(1087)に隆禅が開きました。以後、政治的にも大きな力をもつようになっていきます。2つの寺院は寺内の派閥ともなり、興福寺は大きく一乗院方と大乗院方に分かれ、その傘下で働く国人たちも必然的に2つの派閥に分かれました。一乗院方の代表格は筒井氏や越智氏など、大乗院方には十市氏や古市氏などがいました。