第142回 勝手に奈良検定
問題1 |
微笑みを浮かべる野の仏。さて、いったいどこに祀られる石仏でしょうか。 1.奈良市・滝坂の道 |
正解は、3の「木津川市・当尾の里」。
「当尾の里」とは、現在の京都府木津川市の東南部、加茂町当尾一帯を指します。京都と聞くと、奈良からは少し離れているように感じますが、実際には奈良から山をひとつかふたつ越えた目と鼻の先にあり、古くから南都(奈良)の仏教文化の影響を強く受けてきました。加えて、奈良の仏教界が世俗化されるのを嫌った僧侶たちが、仏教に静かに向き合うために隠遁(いんとん)生活を送った地といわれています。僧侶たちの小さな庵は、いつしか寺院となり、峰々には塔頭(たっちゅう)が並んで「塔の尾根」となり、やがて「当尾」と呼ばれるようになったといいます。
当尾の里の浄瑠璃寺や岩船寺の参道や修行場には、摩崖仏を含むたくさんの石仏が彫られました。写真の阿弥陀三尊摩崖仏は通称「わらい仏」と呼ばれ、当尾の里一番の人気を誇る石仏です。阿弥陀如来を中央に、両脇に観音菩薩と勢至菩薩が刻まれています。鎌倉初期に東大寺復興のためにやってきた宋の石工の子孫たちが彫ったもので、永仁7年(1299)の銘があり、建立700年余りを経ていまも浮かぶ微笑みに心も癒されます。「美しい日本の歴史風土100選」にも選ばれた当尾の里では、四季折々ののどかな日本の原風景が楽しめますが、山間を歩くので、じっくり石仏を訪ねるなら、草木が枯れて虫も少ない冬がおすすめ。道端に山の岩肌に、石仏たちが微笑んでくれていますよ。
問題2 |
上北山村と川上村の境にある伯母ヶ峰には、背中に笹を生やした大猪の伝説があります。これを退治した猟師の犬の名前は何でしょう。 1.アオ |
正解は、4の「アカ」。
伝説の大猪は、「猪笹王(いざさおう)」と呼ばれる妖怪です。その昔、天ヶ瀬という村に射場兵庫という猟師が住んでいました。兵庫は肝の据わった猟師で、連れている犬は「赤(アカ)」という名前のたいへん勇敢な犬だったそうです。ある日、兵庫の前に撃っても撃っても死なない大きな猪が現れましたが、赤と一緒に気を失いながらもやっとの思いで倒しました。小山ほどもある猪の背中には、わさわさと一面に笹が生えていたため、「猪笹王」と名付けました。あまりの大きさに持って帰ることができず、次の日に行ってみると猪の姿はどこにもありませんでした。
猪笹王はその後、撃たれた足の療治のため、湯の峰温泉へ侍の姿で出掛けました。しかし宿の者に正体を知られ、憎き兵庫の鉄砲とアカを買い取って来いと、宿のものに命じます。むろん天ヶ瀬村ではこれを固辞、怒った猪笹王は一本足の「一本だたら」となって辻堂山に棲みつき、そこを通る旅人を取って食うようになりました。そのため道は寂れ、村も寂れていきます。あるときここにやってきた丹誠上人が事情を聞き、ならば化け物を封じてやろうと言いました。上人はお地蔵さんに祈願をして「果ての二十日」以外は姿を現すなと化け物を封じました。「果ての二十日」は旧暦の12月20日のこと。この日以外は、人々は安心して辻堂を越えて伯母ヶ峰を歩けるようになったといいます。現在、上北山の村では、猪笹王の霊廟を建て、これを祀っています。