吉野川沿いに伊勢南街道を歩く ~磐と川をめぐる旅~
掲載日:2013年12月30日
吉野川沿い、紀州から大和に入り高見峠を越えて松坂へ至る伊勢南街道は、江戸時代に紀州藩が参勤交代で使用した道でした。吉野宮滝は天武天皇・持統天皇ゆかりの地であり、古事記・日本書紀の時代には神武天皇が通った道でもあります。周辺には巨岩も多く、独特な景観をみせています。今回は吉野川流域の樫尾から上市へと下ります。
近鉄大和上市駅~(路線バス使用)~樫尾~岩神神社~樫尾~十二社神社~宮滝~桜木神社~宮滝~大名持神社~妹山・背山~大和上市の古い町並み~近鉄大和上市駅(徒歩約3時間30時間。大和上市から川上村湯盛に行くバスの便は日に数本しかないので注意しましょう)
最初に岩神神社へ向かいます。吉野川流域は巨岩や奇岩が多いのですが、この神社はまさに吉野川沿いにある、巨岩をご神体とした神社なのです。巨大な岩が本殿の上にそびえ、来た者を圧倒します。祭神は石穂押別命(いわほおしわくのみこと)といわれ、国栖(くず)から宮滝一帯で祀られ、神武天皇が大和への進軍の際に協力したことが記紀に記されています。岩神神社から再び吉野川を渡り、樫尾に戻ると十二社神社が出迎えてくれます。国道169号の中山トンネルをくぐると吉野宮滝の地です。
宮滝には地形としての滝はなく、別名を「たぎつ河内」といいます。「みやたき」の「たき」は「たぎつ」の「たぎ」の発音が変化したもので、「たぎ」は水が勢いよく流れるさまを表す語です。川の両岸に大きな岩がある独特の地形になっていて、その大きな岩の間を川が流れて、周囲の穏やかな川の流れる風景とはまったく違う雰囲気を醸し出しています。付近には象(きさ)の小川が吉野川に流れ落ちる「夢のわだ」や、象の小川の上流にある桜木神社などがあり、かつてこの地を万葉の貴族たちが歩きました。
実際の伊勢街道は吉野川の北縁を通っているのですが、そのルートを通っている国道169号は交通量も多く、危険なことから吉野川の南側の道を歩いていきます。静かな里を通り過ぎて進めば、小さなこんもりとした山が目に入ってきます。妹山です。妹背大橋を渡ると麓には大名持(おおなもち)神社があり、妹山は神社の忌山(いみやま)として人が入ることを禁じられ、護られてきました。全山照葉樹の原生林におおわれ、西日本の特殊暖帯林『妹山樹叢(いもやまじゅそう)』として国の天然記念物の指定を受けています。そして吉野川を挟んで向かい合っている山が背山です。雛鳥(ひなどり)と久我之肋(こがのすけ)の悲恋として名高い浄瑠璃や歌舞伎の『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』をご存知の方も多いことでしょう。妹背大橋は悲恋だった二人を結ぶ橋といわれているそうです。下流から見ると、ふたつの円錐形のきれいな山が吉野川を挟んでいることがわかります。南側の大きな山が背山、北側の可愛らしい山が妹山です。
そして道は、次第に上市の町の中に入って行きます。山と川に挟まれた狭い土地にひしめくように、古い町並みが残されているのがわかります。上市はかつて金峯山寺への山上詣、西にある高野山への高野詣、そして伊勢神宮への伊勢詣の拠点でした。国道から1本なかに入った旧道を歩いていくと、近鉄線の鉄橋が見え、大和上市駅に到着します。
岩神神社 | 十二社神社 | 国道のトンネル | 宮滝 |
桜木神社 | 妹山(左)と背山(右) | 上市の古い町並み |
持統天皇と吉野宮滝~万葉人が逍遥した宮滝・象の小川~
671年、大海皇子は滋賀県大津にあった天智天皇の宮を脱出し、672年に吉野で挙兵しました。いわゆる壬申の乱です。吉野と天武天皇の関係は深く、宮滝のさらに上流にある国栖の地には天武天皇の伝説も残り、浄見原(きよみはら)神社には、かつて大嘗祭(だいじょうさい)の際に奏上されていたという国栖奏(くずそう。2014年は2月13日予定)が今に伝わります。宮滝付近にあったといわれる吉野宮には持統天皇は30回以上も行幸しています。その際には多くの貴族も同行し、宮滝付近や象の小川付近を逍遥したといわれ、万葉集にもその際に作られた歌が残されています。万葉人が歌を詠んだ時代からすでに1300年以上が過ぎていますが、かつて万葉人が見た風景を現代も見ることができる場所、それが吉野なのです。
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