大淀古道 ~壺阪峠を越え、吉野川柳の渡しへ~
掲載日:2013年11月1日
壺阪峠を越えて大淀へ出る道は、古代から利用された飛鳥から吉野への直線コース。現代ではバスを利用して壷阪寺まで登ることができ、比較的容易に古道のイメージを味わいながら吉野へ向かう道として、ハイキングコースにもなっています。古代の天皇や貴族らはこの道を歩き、壷阪寺や大淀町に残る比曽寺などに参詣してから吉野に入ったといわれています。道を歩けば、大淀町が吉野と深い関わりがある土地であることを感じることができるのです。
近鉄壺阪山駅~(路線バス使用)~壷阪寺~壺阪峠~安産の滝~蔵王寺~妙楽寺~天照神社牛王社~世尊寺(比曽寺跡)~灌頂の滝~水分神社~近鉄大和上市駅(徒歩約3時間)
かつて、飛鳥から吉野へ向かう人々は、巨勢(こせ)を通る平坦な道を行くか、もしくは山道ながら直線距離では短い、壺阪峠や芋峠を越えました。壺阪峠へは壷阪寺行きのバスを利用します。壷阪口からバスは山道を登っていきますが、壷阪寺への参詣の道も残されており、徒歩で行くこともできます。壷阪寺からは高取城趾へのハイキングコースにもなっている県道を登っていきます。五百羅漢(ごひゃくらかん)への山道を横目に、さらに進めば壺阪峠です。高取城趾への道と別れ、大淀へ下ります。最初は広い車道ですが、やがて車1台がやっと通れるほどの幅に…。深い山の中をひたすら下り沢の音が次第に大きくなり、安産の滝に着きます。この滝に打たれるとお産が楽になるという言い伝えが残っています。滝を過ぎると視界が開け、まるで隠れ里のような田口に着きます。ここには小さな蔵王寺があり、役行者(えんのぎょうじゃ)と不動明王を祀ります。不動明王の横には湧き水があり、かつて旅人も喉を潤したことでしょう。
田口から世尊寺(比曽寺跡)への道標に従って歩いていくと、県道に出ます。県道を渡り、旧道を歩いていくと、妙楽寺に着きます。ここには古い道標が残され、吉野川へ直接下る道と世尊寺への道が分岐しています。世尊寺へ向かう旧道の途中には天照神社牛滝社というきれいな神社があり、さらに進むとやがて道は県道と合流、世尊寺のある比曽の地に着きます。世尊寺は吉野寺、比曽寺、現光寺などと名前を変え、聖徳太子が建立した寺のひとつとして飛鳥時代から栄えました(詳細はこちら)。寺の山門前にはかつてあった塔の礎石が残されています。また、役行者が金峯山寺に入峯前に籠り、修行した場所と言われています。比曽の地は、仏教文化が飛鳥から山を越え花開いたところでした。
世尊寺から道は吉野川に向かって下ります。道の傍に小さな祠や、神社、役行者ゆかりの灌頂の滝などを見ながら、やがて吉野川へ出ます。川の対岸には吉野山へ登る道である「一の坂」があります。柳の渡しはこの近辺にあったといわれています。
吉野川沿いに上流へ進む道は、伊勢街道のひとつとして知られています。道は国道169号を離れ、江戸時代の面影を残す増口の集落へ入ります。集落のなか程に急な石段のある水の守り神を祀る水分(みくまり)神社があります。急な石段を登ると神社の本殿があり、そこからは吉野川の美しい風景が見えています。神社の先で旧道は国道に合流します。さらに進めば、近鉄大和上市駅に到着します。
壷阪寺 |
安産の滝 |
蔵王寺にある湧き水 |
妙楽寺 |
天照神社牛滝社 |
世尊寺境内の比曽寺の塔礎石 |
水分神社への急な石段 |
100年前の吉野軽便鉄道発着駅跡~六田駅の東に残る鉄道遺構と柳の渡し~
近鉄六田駅から東に約200m(美吉野橋の西300m)のところに、大正元年(1912)に開業した吉野軽便鉄道の発着駅が残されています。かつての「柳の渡し」に近く、明治40年頃には「六田の渡し」として橋も架けられました。徒歩で一の坂から金峯山寺へと登っていった時代には、ここが吉野山の入口でした。そして昭和3年(1928)、吉野線が現在の吉野駅まで延び、大峯ケーブルのロープウェイができてからは、柳の渡しも駅も必要とされなくなってしまいました。
現在、美吉野橋の西側に柳の渡しの灯籠と、道標、柳の木が残っていますが、かつての渡し場はここより少し上流にあったようです。そこはまさに比曽寺から下りてくる道が吉野川に出合う地点の近くであり、対岸には一の坂が迫っています。かつて大淀町内には柳の渡し以外にも「椿の渡し」「桜の渡し」があり、多くの人々が吉野山を目指し、吉野川を渡っていったのです。
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