長尾街道 ~穴虫(あなむし)から長尾神社へ~
掲載日:2013年2月1日
長尾街道は大阪府堺市から穴虫峠を越えて、長尾神社へ通じる道です。大坂越えの道は穴虫東に向かう伊勢街道と長尾街道が分岐します。付近は道幅が狭いながらも、重厚な家並みが歴史を感じさせます。奈良県内の長尾街道周辺はすでに住宅地になってしまった場所も多いのですが、残された寺社や風景に時代を感じることができます。
近鉄二上駅~大坂山口神社(穴虫)~穴虫の集落~磯壁の地蔵堂~狐井杵築神社~狐井城山古墳~阿日寺(あにちじ)~阿弥陀橋~近鉄当麻寺前~竹ノ内街道~長尾神社~近鉄尺土駅(徒歩約3時間)
近鉄二上駅前のコンビニの横を曲がり、前方のこんもりとした杜をめがけて歩いていくと、大坂山口神社に辿り着きます。実は二上駅の東にも大坂山口神社があり、そちらは逢坂の山口神社、こちらは穴虫の山口神社と呼ばれています(詳細はこちら)。相撲と大きく関わっていたというこの神社には、相撲の絵馬も奉納されていました。
穴虫の集落には古い町並みが残されています。街道沿いの家々は、かつての繁栄の名残をうかがわせる重厚な造りをしています。集落の途中の細い道を曲がって坂を登り、大坂山口神社の西側の参道を見てさらに進むと、道路元標が残され、もう1つの街道と出合います。これが大阪から穴虫峠を越えてきた長尾街道です。この付近にも古い家々が残っていますが、新しい道路がすぐそばを通り、その先は街道も自動車道路に吸収されて面影は消えてしまっています。
道路元標から坂を下っていくと、近鉄二上山駅付近に出ます。この周辺もすでに古い街道の趣は消え、自動車がスピードを上げ走り抜けて行きます。二上小学校を過ぎてまもなく、道は自動車道路を離れ南へ進んでいきます。古い街道とはわかりにくい道ですが、ゆるやかにカーブをつくり、道端に残されたお地蔵さんや小さな石碑がその面影を伝えています。
道なりに進んでいくと、やがて磯壁の住宅地に入ります。住宅地にある地蔵堂には鼻がかけてしまっている地蔵が祀られていて、その清潔なたたずまいからも住民に大切に守られていることがわかります。国道168号を渡ると、前方には香芝市最大の全長約140mの狐井城山古墳(きついしろやまこふん)が見えてきます(詳細はこちら)。古墳の北側で下田から来た道と交わり、その交差点の東には狐井杵築神社と、恵心僧都が描いたという「板仏」がある福応寺があります。「板仏」は毎年7月9日のみ拝観することができます。杵築神社にはかつて力くらべに用いられたという「かたげ石(力石)」が残されていました。
古墳沿いに南へ進むと、道沿いに恵心僧都(えしんそうず)誕生の石碑が建ち、その奥に阿日寺があります(詳細はこちら)。この付近には阿弥陀橋もあり、この地で生まれ、延暦寺の僧侶となり、『往生要集』を著し、阿弥陀信仰を解いた恵心僧都ゆかりの地として知られています(詳細はこちら)。
二上山を見ながら南へ進めば、道は近鉄当麻寺駅の近くを通り、葛城市役所當麻庁舎を過ぎ、やがて竹ノ内街道に合流します。峠から下る道は長尾神社の杜に続きます。伝説では奈良盆地に横たわる大蛇がいて長尾神社はその尾にあたり、頭は桜井市にある大神神社にあったのだそうです。周囲を住宅地に囲まれていますが、神社の杜は守られ、300m以上の長さがある参道が東に延びています。参道を進んでいくと近鉄南大阪線の線路に出て、振り返ると二上山が穏やかな姿を見せています。長尾神社付近は古代、交通の要衝の地で、東は竹ノ内街道が大阪へ、西は横大路が伊勢へ、南は下市街道が御所(ごせ)や下市へ延びていたのです。
大坂山口神社の絵馬 | 穴虫の古い民家 | 古い道路元標 | 磯壁の地蔵 |
狐井杵築神社のかたげ石 | 恵心僧都ゆかりの阿弥陀橋 | 竹ノ内街道 | 長尾神社参道と二上山 |
二上山と阿日寺付近
阿弥陀信仰を表すものとして阿弥陀来迎図があり、その多くは雲に乗った阿弥陀仏や菩薩達が描かれています。その中のひとつに、よく知られた「山越阿弥陀図」があります。なだらかな山の向こうから阿弥陀仏が半身をのぞかせ、まるでこちらを見守っているような姿を描いた仏画ですが、そこに描かれた山の多くは峰が2つに分かれています。その姿はまさしく二上山です。比叡山で修行をし、横川僧都(よかわそうず)とも呼ばれる恵心僧都源信は、この地で生まれました。幼いころ、二上山に沈む夕陽を観て浄土を感じたという逸話も、この地に立てば納得することができるのです。
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