竜田道「竜田越え」 ~道標にたどる古道の面影~
掲載日:2012年10月1日
奈良と大阪を結ぶ道は、古くから何本もありますが、そのなかの1つに竜田大橋から三郷町、そして亀の瀬を見ながら歩く「竜田越え」があります。竜田大橋付近は住宅地としての開発が進み、古道は不明瞭になっていますが、勢野(せや)付近からは道標が道端に残り、古街道の面影をたどりつつ歩くことができます。
竜田大橋~勢野~春日神社~三郷町役場前~龍田大社~三郷町~峠八幡神社~亀の瀬~JR河内堅上駅(徒歩約3時間30分)
第11回の古街道ウォーキングでご紹介した、「竜田道」をたどり竜田大橋まで歩くコース(詳細はこちら)。竜田大橋は交通の要衝であり、付近はかなり開発され、ショッピングセンターやたくさんの住宅が国道沿いに建っています。竜田道は竜田大橋で途切れてしまいますが、国道25号、県道195号沿いに勢野まで進みます。ここは平群からの道との交差する場所です。
勢野の交差点から南へ進み、大和川に向かって歩きます。丘陵沿いに墓地が見えてきたあたりには、明治時代に造られた古い石の道標が建っており、刻まれた文字からは、この道が確かに竜田道であったことがわかります。やがて道路の南に古い醤油醸造工場、春日神社への案内板が見えてきます。一帯には古い集落が広がり、集落外れの丘の中腹にある春日神社はほとんど訪れる人もない静かな神社です。「線刻薬師如来笠石仏(一針薬師笠石仏)」と呼ばれる針で刻んだような線刻の薬師如来像が、奥まったところに祀られています。
道標付近からは歴史ある家屋も点在し、古い街道の面影が随所に見えるようになります。近鉄信貴山下駅の東側から踏切を渡り立野の集落を通り過ぎると、小高い丘の上、住宅に囲まれるように龍田大社が鎮座しています(詳細はこちら)。広い境内には桧皮葺の立派な拝殿や本殿が建ち並び、本殿の左側、磐座を祀る末社の白龍神社が印象的です。龍田大社から県道は下り坂になり、途中には神奈備神社が祀られます。ここから行く先をさえぎるように峠が見え、いよいよ「竜田越え」に向かう昔の旅人の思いが偲ばれるようです。道をさらに下ればJR三郷駅。駅前には万葉の歌人、高橋虫麻呂(むしまろ)の歌碑が、また線路沿いには龍田大社とゆかりのある「磐瀬の杜」、鏡女王(かがみのおおきみ)の歌碑があります。
古い道標を見ながら道なりに進むと、やがて住宅地の外れへ。そこからのびる登り坂が竜田越えの道です。車1台が通れるぐらいの細い坂を登り切ると峠八幡神社で、すでに奈良県を出て、大阪府柏原市に入っています。神社の前に建つお堂には地蔵石仏が祀られ、時おり電車や車の音が谷から聞こえてはくるものの、周囲はのどかな静けさに満ちています。峠を下っていくと「亀の瀬」。ここは古代から、大和川の氾濫や土砂崩れなどで交通が寸断される危険のある難所として知られます。奈良と大阪の境であることを忘れそうなほど、いまも深山の雰囲気を漂わせています。亀の瀬の風景を楽しみながらしばらく歩いていけばJR河内堅上駅に到着します。
勢野の県道194号沿いの石仏と道標 | 春日神社の笠石仏 | 風の神を祀る龍田大社 | 水をかけてお参りする白龍大神 |
神奈備神社 | 磐瀬の杜近くの道標 | 峠八幡神社 |
歌枕「竜田の山」
歌枕として知られる竜田の山は、古くから越えなくてはならない難所でもありました。万葉集では遣新羅国使が故郷を目前にした望郷の思いを歌いました。
大伴の三津の泊まりに舟泊(は)てて 竜田の山をいつか越え行かむ(巻15-3722)
(訳/船が難波の港に着いた。竜田の山を越えて、早く都に、我が家に帰りつきたいものだ)
また伊勢物語・筒井筒の段では、大和に残された妻が夫を想い歌いました。
風吹けばおきつ白波竜田山 夜半にや君がひとりこゆらむ
(訳/風が吹くと沖の白波が立つように荒れてしまう難所である、竜田山を夜半にあなたは一人で越えているのでしょうか)
現在亀の瀬では、JR関西本線、国道25号、大和川が、三段重ねの立体交差のように見えます。難所をわたる現在の交通を見ながら、古代の人がどのような気持ちでこの道を歩いたのか、想像するのも楽しいでしょう。
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