山の辺の道~古の風景が残る道~ 三輪山の麓に古代大和の風景を見る
掲載日:2012年6月1日
崇神天皇陵付近から三輪山一体にかけては、古代大和を彷彿とさせる景色が点在します。町の風景は変わっても、山々は古代の姿のまま存在しています。古の大和の風景に思いを馳せながら、山の辺の道を南へ歩きます。
柳本駅~崇神天皇陵~景行天皇陵~珠城山古墳群~纒向遺跡~箸墓~国津神社~井寺池~桧原神社~玄賓庵~ささゆり園~久延彦神社~狭井神社~大神神社拝殿~平等寺~金屋石仏~海柘榴市跡~「仏教伝来の地」碑~海柘榴市観音堂~恵美須神社~三輪駅(徒歩約5時間)
柳本駅をスタートし、東へ歩くと崇神天皇陵の大きなこんもりとした陵が見えてきます。地形を利用して築かれた崇神天皇陵は東側が山すそに連なり小高くなっており、奈良盆地の絶好の展望台になっています。遥か西には二上山、葛城山、金剛山、そして奈良盆地には池の中に浮かぶ小島のように、耳成山や畝傍山が見えています。この景色は古代から変わることのない景色でしょう。
南へ向かい、景行天皇陵を過ぎると、右手に土が露出し墳丘の中腹に玄室の見える古墳が見えてきます。珠城山(たまきやま)古墳群です。墳丘に登れば箸墓古墳や三輪山が大きくその姿を見せ、纒向(まきむく)遺跡全体が見渡せます。近年、JR巻向駅のすぐそばで、纒向遺跡の宮殿跡ではないかと推定される建物群が発掘されました。古代邪馬台国との関係がいろいろ推察されていますが、真相はまだわかっていません。いずれにせよ目の前に見える箸墓古墳、纒向遺跡、三輪山の関連を思いながら歩くことができるのが、この道の醍醐味です。箸墓古墳から桧原(ひばら)神社を目指し山すその道を登っていくと、大きな2つの池、井寺池があります。ここからも箸墓古墳がよく見えます。そして彼方には二上山。山の辺の道を歩いていると、何かのシンボルのように佇む二上山が印象的です。二上山に夕日が沈む絶景を、古代の人も眺めたことでしょう。
桧原神社は3つの鳥居が連なった珍しい形の「三ツ鳥居」が目を惹きます(詳細はこちら)。ここは三輪山を拝むための神社で、元伊勢「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」の伝承の地です。玄賓庵(げんぴんあん)の横を抜け、大神神社のささゆり園を通り、知恵の神・久延彦神社(くえひこ)じんじゃ)へ立ち寄りましょう。境内は高台にあり、奈良盆地を一望できます。ここから狭井神社(さいじんじゃ)へ行く途中には「大美和の杜展望台」があります。大神神社の大鳥居がアクセントになり、広々とした大和の原風景が広がります。狭井神社は病気平癒の神様として知られ、神社の横には「薬井戸」があり、ご神水が湧き出ています。ご神体である三輪山に登拝する人もここから山へ入ることになります(詳細はこちら)。
大神神社は三輪山をご神体としているため拝殿しか持たず、本殿はありません。山や木、岩などをご神体とする神社は、今でも存在しますが、この大神神社もご神体の三輪山をそのまま拝むという古い神道のかたちを保っています。拝殿の傍らには巳(み)の神杉という大きな杉の木が立っています。この杉も拝む人が絶えません。山の辺の道をさらに南へ行けば平等寺です。ここはかつて神仏混合の時代、大神神社の神宮寺の1つでした。さらに下れば、金屋の石仏(詳細はこちら)があり、広々とした旧街道に出れば海柘榴市(つばいち)跡です(詳細はこちら)。かつてここは交通の要衝でした。大きな市場もあり栄えた場所で、日本にはじめて仏教が伝わった土地でもあります。初瀬川のほとりには「仏教伝来の地」と刻まれた大きな石碑が建っています。ここから三輪の町に戻り、古い町並みを眺めながら、恵比須神社を過ぎれば、三輪駅はもうすぐです(詳細はこちら)。
崇神天皇陵からの風景 |
景行天皇陵付近の山の辺の道 |
この付近一帯に纒向遺跡が広がる |
井寺池から箸墓古墳方面を望む |
桧原神社 |
久延彦神社の参道 |
狭井神社の「薬井戸」 |
大神神社拝殿と巳の神杉 |
大神神社と平等寺
かつて神仏混合であった時代、大神神社には大御輪寺と平等寺という神宮寺といわれるお寺がありました。明治時代、神仏を分離せよとの政府の命令のもと、嵐のような時代に突入し、その際に平等寺も多くの寺宝が分散されてしまいました。金屋の石仏も明治以前は平等寺にあったものといわれています。平等寺は昭和52年に寺号を復興させました。
その境内には熱冷まし地蔵が佇んでいます。人々は熱の出るような病気になったとき、地蔵の体に触れながら病気回復を祈りました。地蔵の顔は多くの人々に触れられたためか、つやつやと光り輝いています。
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