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北山辺の道~影姫あはれ~ その2 影姫の伝説の残る地へ日本書紀の影姫の歌を辿るウォーキングコース

掲載日:2012年3月1日

JR帯解駅から北山の辺の道ハイキングコースに戻り、さらに北へ進みます。北山の辺の道は春日大社付近で終わりますが、さらに北上し、奈良山(平城山)を目指します。

JR帯解駅~帯解寺~大池~竜王池~円照寺~祟道天皇陵~八阪神社~新薬師寺付近~春日大社~若草山~東大寺二月堂~般若寺バス停(徒歩約4時間)

JR桜井線の帯解駅一帯は、南北に二つの古い街道が交差し、歴史ある町並みが残る町です。ただしくは「今市」の地名ですが、安産祈願で名高い帯解寺があることから、地元では「帯解」の呼称で親しまれています。町を抜けると視界が開け、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「青垣」と歌った奈良市東部に連なる山々が見えてきます。山に向かって進めば、すぐに目にとまるのが、こんもりとした杜のある御霊神社です。さらに進むと、燈籠の字から天武天王社とわかる小さな社があり、すぐ近くには竜王池が広がっています。この付近はとても静かな里山で、西に奈良市街を遠望しながらのんびりと散策が楽しめるでしょう。

竜王池の北側に見える赤い鳥居をくぐり階段を上がっていくと、山村御殿と呼ばれる門跡尼寺の円照寺があります。拝観はできませんが山門からは石畳が続き、静かで落ち着いた風情を醸し出しています。円照寺からは道標に従ってハイキングコースを行くと、やがて崇道天皇陵が見えてきます。この陵の前の道路には、ちょっと不思議なスポットがあります。なんでも恨みを抱いて亡くなった崇道天皇が死の間際に投げた石がここまで飛んできて落ちたのだとか。そのためか、石を動かすと祟りがあるといわれます。石は石垣に囲まれ、道路の真ん中にいまも置かれています。

天皇陵から山沿いに北へ向かえば、白山比咩(しらやまひめ)神社、八阪神社、白毫(びゃくごう)寺と、古くから信仰を集める大小さまざまな寺社が次から次へと現れます。古代の道と信仰の姿をのどかな風景のなかに体感する、まさしく北山の辺の道ウォークの醍醐味ともいえるでしょう。宅春日(やけかすが)神社を過ぎ、新薬師寺の横を抜け、春日大社の杜へ向かいます。このあたりは高畑町といい、築地塀がいまも残る静かな住宅地です。春日大社の杜を抜ける社家道(しゃけみち)は「ささやきの小径」と呼ばれ、長い歴史を目にしてきたであろう多くの巨木たちがいまも立っています。春日大社からは水谷神社の脇から若草山、東大寺二月堂前に抜け、奈良阪へ進みます。

影姫がこの道を歩いた神代の時代にはこれらの寺社はまだなく、ただただ、春日の原始林が続いていたのかもしれません。そして奈良阪の向こうには、佐保山とも奈保山、奈良山ともいわれる丘陵が続いています。この付近は数多くの古墳があることで知られ、古代から葬送の地とされてきました。この葬送の地で、影姫は恋人の変わり果てた姿を見たのです。恋人の死を聞き長い道のりをひたすら歩き続けた影姫の哀しみは、今も人々の心を引きつけて止みません。


帯解寺

帯解の古い町家

帯解の道標

竜王池の竜王社

円照寺

崇道天皇陵前の石

八阪神社

二月堂付近の道

日本書紀の歌謡~漁り出な猪の子~

影姫は奈良山に着いた後、歌を詠みます。この歌は皇太子に無惨にも殺された恋人について悔しさをにじませています。

あおによし 乃楽(なら)の谷(はざま) 鹿(しし)じもの 水漬く辺隠(へこも)り 水濯(そそ)ぐ 鮪(しび)の若子(わくご)を 漁(あさ)り出な 猪の子
訳:猪の子よ。奈良の水浸しの谷間に埋められている私の夫を掘り起こすようなことをしてはいけない

しかし、この歌からは哀しみや悔しさとともに、影姫の決意のようなものも感じられます。「漁り出な」は「猪の子」に命令する言葉です。「もうこれ以上の哀しみを私に与えるな。勝手はさせない」といった毅然とした思いが滲み出ています。彼女は恋人を殺された、哀しいヒロインだけでは終わらなかったようです。


春日大社若宮前の巨木


奈良阪から見える大仏殿の屋根

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