下ツ道 その1 羅城門跡から近鉄二階堂駅へ
掲載日:2010年7月20日
平城宮跡のある広大な平城京の南の入り口、羅城門。古代の幹道「下ツ道」はここから藤原京へと続いており、いまも道の傍らには歴史を感じさせるものが、そこかしこに見られます。奈良時代以来、多くの人や物が行き交った古街道を3回に分けて歩きます。
近鉄郡山駅またはJR郡山駅~羅城門橋~稗田環濠集落・売太神社~番条町~伊豆七条町~八条町~近鉄二階堂駅(約半日)
近鉄郡山駅から約2km、JR郡山駅からは約1km、今回のウォーキングの起点は大和郡山市と奈良市の境、佐保川に架かる羅城門橋(*)です。佐保川の流れの下にはかつて羅城門があり、北には広大な平城京が広がっていました。「橋の少し西寄りからは朱雀門と大極殿の屋根が一直線に見え、最近評判のスポットです」と大和郡山観光ボランティアガイドの井渓さんのお話です。
ここから佐保川の堤防の上を南進、下ツ道を歩きます。橋にほど近い左岸(東岸)のほとりには、大きな栴檀(せんだん)の木が枝を広げ、木の下には農業の神である「ノガミサン」の祠(ほこら)と万葉歌碑が建っています。また羅城門橋から2本目の郡界橋の西のたもとには「きこく地蔵」の祠があります。「きこく」とは「枳(からたち)」のことで、戦時中には「きこく」と「帰国」をかけてお参りに来る人がいたということです。
郡界橋を過ぎると川はやがてゆるやかに蛇行します。左岸(東岸)に広がるのは、中世の村落の名残を残す稗田環濠集落です。集落には『古事記』の読誦で知られる稗田阿礼(ひえだのあれ)を主祭神とする売太神社(めたじんじゃ)が鎮座しています。さらに南へ下った番条町も、素朴な環濠の残る町です。古い酒蔵が残る町並みは、かつての街道の賑わいを偲ばせてくれます。
道は国道25号を越えてさらに南下しますが、国道を西に進めば近鉄筒井駅にも出られます。細い道は伊豆七条町を抜け西名阪自動車道の下をくぐります。古代の幹道と現在の幹道が、ごく当たり前に交差しています。さらに進めば八条町で、村の北には嫁取り橋という恐ろしげな名前の橋があります。道の西側にみえるこんもりとした杜は菅田神社で、参道の入り口は下ツ道にぶつかっています。道路の真ん中に鳥居が残され、一風変わった風景になっています。八条町は京奈和自動車道が造られたことで、風景が大きく変わってしまいました。ここでも古代の道と現代の道が交差しています。時の流れを感じながら、古い街道の面影残る道を進みましょう。ほどなく近鉄線の踏切が見えてきます。近鉄二階堂駅です。今回はここで終了です。次回は、二階堂駅から田原本間を歩きます。
*近鉄郡山駅からは東へまっすぐ進みます。薬王八幡神社の前を過ぎるとすぐに外堀公園です。園内を北進し、北口から常念寺、良玄禅寺の前を通ってさらに北へ向かうと、羅城門橋に続く高架の登り口に出ます。JR郡山駅からは西口ロータリーから続く道路を北進すると外堀公園の北口に向かいます。郡山側からは橋に続く高架道路は歩行禁止ですが、側道を経由すれば橋の上に出られます。
羅城門橋からの眺め | 佐保川と栴檀の木 | きこく地蔵 | 稗田環濠集落 |
番条町の環濠 | 下ツ道に建つ菅田神社の鳥居 |
大蛇と化した娘の悲しい伝説-嫁取り橋-
大和郡山市八条町の、下ツ道を横切る小さな川に架かるなんの変哲もない橋。この橋が、花嫁が通ると大蛇に取られてしまうという伝説が残る「嫁取り橋」です。若い男に恋した18才の娘・こまのは、恋する男を慕うあまり、池に映る姿を本物と間違えて落ち、死んでしまいます。こまのは大蛇と化して、若い女性への嫉妬心のあまりこの橋を通る花嫁行列を襲ったといいます。しかしあるとき人間に命を助けられた狐に恩返しにと退治され、以後、花嫁が襲われることはなくなったといいます。しかしこまのの悲恋は伝承され、地元の人は冠婚葬祭のときにはいまも橋を渡らないといいます。
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