第135回 勝手に奈良検定
問題1 |
写真は奈良県庁の東にある池です。池の名前は、かつてここからある神社の鳥居が見えたことに由来するとか。それはどこの鳥居でしょうか。 1.氷室神社の鳥居 |
正解は、2の「春日大社の鳥居」。
池の名前は「みとりゐ池」といいます。現在、国道369号をはさんで、奈良県庁の東に位置しています。かつてここから春日大社(正確には春日社)の鳥居が見渡せたことから、「見鳥居池(みとりゐ池)」の名前が付いたとか。現在ではそれもなかなか難しくなってしまいました。代わりに、真っ白な築地塀を背景に、春はナラノココノエザクラや藤、夏にはホテイアオイなどが咲き、周辺を行き交う人々の目を楽しませてくれています。またとくに朝方や夕方には鹿の群れも見られ、京都へ向かう大通りに面していながら、ちょっとした憩いの空間ともなっています。
このみとりゐ池のある場所は、実はたいへん歴史深いところでもあります。かつて奈良八景に数えられた2つの風景「轟橋」や「雲井坂」と隣接しているのです。それぞれ「轟橋行人(旅人)」「雲井坂雨」として、室町時代の相国寺鹿苑院(ろくおんいん)蔭涼軒(おんりょうけん)主が遺した 『蔭涼軒日録』に、他の六景とともに名前が見られます。現在轟橋は、歩道に板石が遺され、雲井坂とともに小さな石碑が立っています。往時はここから春日社の一之鳥居が、せいせいと見渡せたのかもしれませんね。
問題2 |
現在、奈良県の宇陀郡曽爾村と御杖村の村境にあり、本居宣長も苦労して歩いた峠はさて、どこでしょう。 1.鞍取峠 |
正解は、1の「鞍取峠」。
「お伊勢まいりしてこわいとこどこか、かい坂、ひっ坂、鞍取坂、つるの渡しか宮川か」。鞍取峠は、このように歌われた、伊勢本街道の難所の1つです。お伊勢参りが盛んになった江戸時代、多くの人々が伊勢神宮を目指して歩いた道ではありましたが、行程は短くとも険峻な難所がある本街道より、多少日にちはかかっても歩きやすい青越えの方が人気があったといいます。鞍取峠は現在曽爾村と御杖村の村境であり、大阪・奈良方面から伊勢を目指す場合、曽爾村の山粕から登りはじめ、九十九折りの急坂を登り下れば、御杖村の桃俣の集落に出ます。
鞍取峠の名前は、垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が、神鏡を奉じて御杖代(みつえしろ)となり、天照大神をお祀りする場所を探し歩いていた、というころに由来すると伝えます。そのとき、鞍取峠で馬の鞍が飛ばされたため、鞍飛坂や鞍取坂と呼ばれるようになったとか。本居宣長も、ぬかるみや急坂、強風にずいぶんと苦労して、半ば遭難しかけながら本街道を歩いたことが『菅笠日記』に残されています。