第128回 勝手に奈良検定
問題1 |
大きな巾着形の賽銭箱。これを境内に置く社寺は、次のどの山にあるでしょうか。 1.生駒山 |
正解は、1の生駒山。
この巾着形の賽銭箱があるのは、生駒山の寳山寺(ほうざんじ)です。生駒の寳山寺は、中興の祖・湛海上人以来、「歓喜天(聖天さん)」を祀る寺院として知られ、現世利益や商売繁盛を叶えてくれると商売・商業の守護神として大変人気のある寺院です。巾着に刻まれた大根は、聖天さんの大好物。参拝者は自分の財布や宝くじで巾着のふちをなで、福徳を願います。寳山寺では毎年12月1日に大根炊きが行われ、厄除けや健康を願い、炊いた大根に甘いみそだれを掛けていただきます。またこの日は一日(ついたち)参りの1年の締めくくりの日。境内では開運厄除の大根も売られ、日付が変わった午前零時から大勢の参拝者でごったがえします。大根尽くしの1日です。
そのほかの山にある寺院はおわかりですか?信貴山は朝護孫子寺。日本ではじめて毘沙門天を感得した寺で、守護神として祀ったのは聖徳太子といわれます。のちに醍醐天皇の病気平癒にも加護があったとして、朝廷の信仰篤い寺となりました。吉野山は金峯山寺。大きな3体の蔵王権現を祀ります。いずれも深い青色で、過去現在未来を守護してくれるといいます。感得したのは修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)です。松尾山は松尾寺。天武天皇の皇子・舎人(とねり)親王が日本書紀の完成と厄除けを願って建立した日本最古の厄除け霊場です。願いに応じて降臨したのが千手千眼観世音菩薩。以後、こちらも朝廷と深いつながりをもって栄えました。ご本尊と感得者の関係は、その後の寺院の展開に大きな影響を与えたといえるでしょう。
問題2 |
平城宮跡の北にある「平城天皇陵」は、ちょっと可哀そうな古墳です。さて、そのわけは? 1.四角い方墳だったのに、まるで円墳のように角を削られてしまった |
正解は、4の「前方後円墳だったのに、まるで円墳のように前方部を削られてしまった」。
平城天皇陵は、平城宮跡のすぐ北に位置する古墳です。奈良山の南麓には、ウワナベ古墳や成務天皇陵、神功皇后陵などの前方後円墳が数多く点在する佐紀盾列古墳群が広がり、平城天皇陵もその1つに数えられています。日本全国で初めて造られた前方後円墳は桜井市にある箸墓で、古墳時代は箸墓の造営にはじまるとされています。その後古墳がさかんに造られる地域は天理市、さらに奈良市北部に移り、佐紀盾列古墳群が造られ始めました。これらは別々の政権・勢力ではなく、さまざまな理由から古墳を造る場所を変えた結果であるといわれています。
さて現在円墳にしか見えない平城天皇陵は、本来はかなり大きな前方後円墳でした。推定復元長は、ウワナベ古墳(260m)とほぼ同じ大きさです。当時、致し方ない理由があるときには、きちんとお祀りをしたうえであれば古墳を削ってよいことになっており、南側に延びていた前方部が削られてしまったのです。それでもまだ残っているだけましかもしれません。すぐ南にあった神明野古墳はすっかり平らにされ、第2次大極殿の基壇の下となってしまっているのです。宮内庁から陵墓に治定されている平城天皇陵は、古墳の前に鳥居もありきちんと整備され、もちろんすぐ近くで見学することが可能です。