第127回 勝手に奈良検定
問題1 |
おなじみの奈良の鹿。さて写真の鹿の角のことを、特別に何と呼ぶでしょう。 1.洞角 |
正解は、2の袋角。
毎年10月に行われる勇壮な行事といえば、江戸時代から続けられる「鹿の角きり」でしょう。オスの鹿にとっては、迷惑な行事ですが、人間と共存するためには「シカたがない」といったところでしょうか。実は鹿の角は、伐らなくても年に1度生え変わり、生後1年で1本角を1対、大人になると3つに枝分かれした角を1対もちます。毎年春から夏にかけて見られる袋角は、チョコレート色の皮膚に覆われ先端が丸くなった角。皮膚の下には血管も走っています。骨が十分成長すると血流がとまり、皮膚も死に、あとは木などにこすりつけて死んだ皮膚を落とせば、先端が尖った立派な角のでき上がり。完成は毎年9月ごろです。伐った角、落ちた角は、鹿角細工の材料として古くから重宝され、いまも奈良の工芸を支えています。
洞角は牛や水牛の仲間にみられる角で、枝分かれをせずに中空になった角です。一生ずっと成長を続ける点でも鹿の角とは大きく異なります。メソポタミア文明などにみられるリュトン(角杯)は、まさにこの形をまねたものです。中実角はサイの仲間にみられる角で、毛状の繊維が束になって固まってできたものです。これも取れることなく、ずっと成長を続けます。またオッシコーンとはキリンの角のこと。隆起した骨を皮膚が覆ったもので、これも生涯成長し続けます。伸びて生え変わる鹿の角は、四季の変化に応じた鹿の成長を知るヒントでもあるのです。
問題2 |
吉村寅太郎の扁額が掛かる、五條市の旧家といえば、次のどれでしょう。 1.栗山家住宅 |
正解は、2の堀家住宅。
南北朝時代の延元元年(1336)、足利尊氏により京の都を後にした後醍醐天皇は吉野へ向かいました。傷心の天皇を厚くもてなしたのが、途中に立ち寄った西吉野の村の郷士、堀孫太郎信増でした。その後、堀家は、後村上、長慶、後亀山の3代にわたる天皇皇居として南朝史に重要な役割を果たします。どっしりとしたわらぶき屋根には、歴史の重みが感じられ、冠木門(かぶらきもん)には、倒幕の志士として幕末の天誅組で名を馳せた土佐出身の吉村寅太郎による「賀名生(あのう)皇居」の扁額が掲げられています。隣接する「賀名生の里 歴史民俗資料館」とともに、南朝史を身近に感じられるスポットです。
また栗山邸と中邸は、五條市の中心地である新町通りの東の入口にあります。新町通りは旧紀州街道の風情を色濃く残し、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。栗山邸は、棟札に慶長12年(1607)の銘をもつ、建築年代のわかっているものでは日本最古の民家です。また中邸は宝永元年(1704)に建てられ、元禄の大火を意識した防火対策が万全な建物です。藤岡家住宅は五條中心部からやや北東にあり、五條が生んだ俳人、藤岡玉骨の旧居として知られます。藤岡家では最古の寛政9年(1797)建造の内蔵などを備えた商家のたたずまいを今に伝えています。