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勝手に奈良検定

第99回 勝手に奈良検定

問題1

6月の奈良の風物詩となっている、あるお祭り。神楽を舞う巫女さんたちが手にしている花は、さて何でしょう。

1.ひめゆり
2.ささゆり
3.おにゆり
4.すずらん

第99回 勝手に奈良検定

正解

正解は、2の「ささゆり」。

このお祭りは、毎年6月17日に行われる奈良市本子守町の率川(いさがわ)神社の三枝祭(さいくさのまつり/さいぐさまつり)です。通称「ゆりまつり」と呼ばれています。「三枝」とは、ささゆりのこと。ささゆりは古名を「佐韋(さい)」といい、先端部が3つに分かれることから「三枝の花」とも呼ばれていました。率川神社の祭神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、大神神社の近くを流れる狭井川(さいがわ)のほとりに住み、のちに神武天皇の皇后となった姫神で、川のほとりにはささゆりの花がたくさん咲いていたそうです。三枝祭はそのささゆりを捧げ、祭神をなぐさめると同時に、疫病鎮めを祈るもので、701年の「大宝令」(たいほうりょう)に定められた由緒あるお祭りです。

この日のために用意された特別な神饌(しんせん)は必見(お祭りの後で見せていただけます)。柏の葉で蓋をした折櫃(おりびつ)に入れられ、鯛、カマス、堅節、アワビなどなど、ごちそうが並べられます。また、黒酒(くろき=濁酒)を入れた罇(そん=脚付きの曲り桶)、白酒(しろき=清酒)を入れた缶(ほとぎ=台付きの壺)は、その周囲をササユリで飾られ、風雅な雰囲気を漂わせます。

ささゆりを手に4人の巫女が舞う神楽「うま酒みわの舞」は、うっとうしい梅雨の季節のはじまりに、すがすがしさを運んでくれる美しい舞いです。このささゆりは、大神神社のささゆり園で大切に育てられたもの。前日の16日に三輪から運ばれ、芳しい香りで境内を満たしてくれます。5月下旬から6月中旬にかけて咲くささゆりは、県内ではほかに、奈良市の大和文華館や、東吉野村の丹生川上神社などで見られます。ちなみに選択肢4番のすずらんは、奈良県が群落する自生地の南限。奈良市都祁吐山(つげはやま)町や宇陀市室生向渕の大和高原で5月中旬から6月初旬まで目にすることができます。

問題2

Q1の率川神社と同じく大神神社の摂社である狭井(さい)神社には、ある作家の手による石碑が建っています。さて、それは誰でしょう。

1.井上靖
2.阿波野青畝
3.三島由紀夫
4.川端康成

正解

正解は、3の「三島由紀夫」。

美しく、ときにシュールな自己愛的世界を描いた小説家、三島由紀夫(1925~1970)。小説そのものはもちろん、三島由紀夫の生き方、そして衝撃的な死は、いつの世も若い人たちの心を捉えて離しません。三島の揮毫「清明」碑は、現在、狭井神社の鎮女池(しずめいけ)のほとりに、静かにたたずんでいます。

この「清明」は、実際に三輪山に登拝(とはい)し、神職の生活に触れて感銘をうけた三島が色紙に記したものです。実は、彼の代表作の一つである『豊饒の海』の第2巻の一場面は、三輪に設定されています。登場人物は三輪山の滝で運命的な出会いをするのです。『豊饒の海』は、生命が生まれ変わる輪廻転生(りんねてんしょう)や、日本の神道思想「一霊四魂(いちれいしこん)」など、非常に東洋的な思想が散りばめられた作品です。大神神社の古い信仰のかたちが、創作にあたってたいへんなインスピレーションを与えたのでしょう。

1の井上靖(1907~1991)の手によるものは、同じ桜井市なら、古道「磐余道」の道標が山田寺入口に建っています。また奈良市の唐招提寺には井上作品『天平の甍』にちなみ、同じタイトルを刻んだ石碑があります。2の阿波野青畝(あわのせいほ、1899~1992)は、奈良県が生んだ俳人。難聴に屈せず、大きな景観の句を数多く残しました。大神神社の「大美和の杜」の展望台には「月の山 大国主の 命(みこと)かな」の句碑が建っています。4の川端康成(1899~1972)は、日本人初のノーベル文学賞受賞者。その文字を刻む石碑は桜井市茅原の井寺池の堤にあります。自ら命を絶つ3か月前に、歌碑建立の下見をし、その高さなどにこだわったという川端康成。本人によって揮毫はなされず、文字は遺稿から拾われ次の歌が刻まれました。「大和は 国のまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し 美し」(『古事記』中巻 倭健命)

問題3

大神神社には「なでうさぎ」として親しまれるウサギの彫像があります。いまは単体ですが、実はかつてはある動物とセットでした。さて、その動物は次のどれ?

1.タヌキ
2.カメ
3.ワニ
4.カエル

正解

正解は、2の「カメ」。

ウサギにカメとくれば、昔話の「ウサギとカメ」を思い出しますが、ここではちょっと違います。実はこの2匹、戦前まで、大神神社の一ノ鳥居の前にあった、大きな鉄製の灯籠を飾っていました。灯籠に火を灯す部分の「火袋」をカメが背負い、その火袋の上にウサギがちょこんと座っていたのです。

灯籠は戦時中に供出され、なくなってしまいましたが、ウサギとカメは残され、現在ウサギは大神神社の拝殿に向かって左手の参集殿の入口に置かれています。ずっと別の場所で保管され、知る人ぞ知る存在でしたが、ある卯年に縁起物として表舞台に出したところ、参拝者からなでられまくる人気ぶり!以後、参集殿の玄関に置かれ、ご利益を求める人になでられており、そのためか、今もピカピカです。またカメは宝物収蔵庫に展示されています(展示替えの場合もあり)。耳を持ちツメも大きく鋭い縁起物として、迫力満点に刻まれています。

大神神社では、古来、卯の日がたいへん大切にされてきました。古くは「卯」は東の方向を表わします。それはすなわち、大神神社のご神体である三輪山から、毎日新しい朝日が昇ってくる方角で、大神神社にとってはたいへん神聖な方角でした。そのため、春と秋の例祭は、かつては卯の日を選んで行われていました。また大神神社の祭神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、「因幡の白うさぎ」のお話で知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)と同じ神様。大神神社とウサギとはたいへん縁が深いのです。江戸時代の元文5年(1740)作の幻の鉄製灯籠は、大神神社とウサギとの関係をよく知る人々によって奉納されたと考えられ、いまは写真にのみ、その姿をとどめています。

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