第90回 勝手に奈良検定
問題1 |
ずばり、どこからの夜景でしょう。 |
正解は、若草山。
奈良市街の東部に位置する若草山は、高さ342m、広さ33ha、山全体が青々とした芝生で覆われ、笠を3つ重ねたような山容から三笠山とも呼ばれています。山頂までは40分ほど。途中、一重目から二重目、二重目から三重目(山頂)と、歩むごとに刻々と変化する古都奈良の眺望を楽しむことができます。
2003年4月、若草山は、福岡県北九州市八幡東区の皿倉山、山梨県山梨市の笛吹川フルーツ公園と並び、新日本三大夜景にも選ばれました。山頂へは、奈良奥山ドライブウェイ(有料)を利用して10分弱。鴬塚古墳のある山頂展望台からは、奈良市街を一望できます。碁盤の目のように広がった平城京の面影が感じられ、さらに真っ暗にみえる一角が、その中枢部である平城宮であることが、昼間よりもよくわかります。
また前方にはテレビ塔が建つ生駒山とその山麓の生駒市、さらに北方には京都方面まで見渡すことができます。全体に派手な明かりはなく、穏やかな光の海が広がる古都にふさわしい夜景です。
問題2 |
中秋の名月の夜、采女祭(うねめさい)が行われる猿沢池。その畔に建つ采女神社には、その昔、帝の寵愛(ちょうあい)を失った女性が身を投げたとき、一晩のうちにある不思議が起こったと伝えられます。さて、それはいったい、どんなことだったでしょう。 |
正解は、一夜にして神社が池の反対を向いた、です。
奈良市三条通沿い、猿沢池の畔に建つ采女神社は、鳥居を背にして建つ珍しい神社です。毎年ここで行われる采女祭りは、『大和物語』に記された采女伝説に基づいて、采女の霊をなぐさめるために行われるお祭りです。
昔、ある美しい采女が帝の寵愛を一身に受けていました。采女とは天皇の世話をする女官のことです。しかし帝は、ほかの女性に心移りをしてしまいます。帝の心が変わったことを嘆いた采女は、猿沢池に身を投げました。采女をはかなんだ人々は、その霊を慰めようと池の畔にお社を建て、采女を祭ります。しかし采女は、自身が身を投げた池を見るのは偲びないと、一夜のうちに池に対して後ろ向きになってしまいました。それでいまでも、采女神社のお社は鳥居と池に背を向けて建っていると伝承されています。
采女祭りが行われるのは、毎年中秋の明月の夜。17時からは花扇奉納行列が行われ、JR奈良駅から猿沢池まで、三条通りを練り歩きます。秋の七草で彩られた大きな花扇と稚児、十二単姿の花扇使らが行列を華やかに彩ります。18時から春日大社神官による神事、花扇奉納が行われ、19時、花扇や花扇使、ミスうねめらを乗せた2隻の管絃船が池をめぐり、最後に花扇を池に浮かべます。名月の世にふさわしい、みやびやかなお祭りです。
問題3 |
中秋の名月、月といえばウサギ。月の中でウサギが餅を搗くのは日本人のイメージですが、では月の中にウサギと薬壺が描かれる飛鳥時代の織物といえば、さて、何でしょう。 |
正解は、天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)。
天寿国繍帳は斑鳩の中宮寺に伝わる織物で、聖徳太子の妃であった橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子を偲び、太子が天寿国に往生したようすを刺繍させた染色工芸品です。
当初は縦2m×横4mあったといわれますが、現在は断片をつなぎ合わせた縦88.8cm×横82.7cmのものしか残っていません。もとは100個の亀甲が刺繍され、1つの甲羅に4文字ずつ、計400文字の繍帳を作った由来が記されていました。紫の羅の上に、白・赤・黄・青・緑・紫・樺色などのより糸で刺繍が施された繍帳は、鎌倉時代の後補分もあるものの、飛鳥時代のもともとの部分の方が、より一層の鮮やかさを遺しています。
現在本物は奈良国立博物館に寄託されていますが、中宮寺ではその模造をいつでも目にすることができます。月のウサギが描かれているのは、左上の部分。ふちどりされた月の中、左端に片足を上げたウサギ、真ん中に薬壺、右端に桂樹が刺繍されています。桂樹は中国の伝説で、月の中に生える木とされ、またウサギは月の中で不死の薬を搗くと考えられていました。