第88回 勝手に奈良検定
問題1 |
大きな岩に彫られた2体の特徴的な石仏。このほかにもたくさんの石仏が見られる渓谷とは、さてどこでしょう。 |
正解は、鳴川渓谷。
生駒郡平群町にある鳴川渓谷は、すがすがしい緑に囲まれた里山の渓谷です。鳴川峠を源流とする清流・櫟原川の水音、気持ちのよい緑が織り成す一帯は、夏でもひんやりとした空気が漂います。美しい景観は、秋には紅葉の名所としても知られます。
渓谷の両岸の岩壁には、鎌倉から江戸時代にかけて彫られた磨崖仏が刻まれ、「清滝石仏群」と呼ばれています。総高3.37m、仏身2.9mの通称“八尺地蔵”。四角く切られた彫り込みのなかに、釈迦・薬師・地蔵・弥勒・阿弥陀の五尊が行儀よく並ぶ通称“五智如来”。写真は、室町後期~江戸初期作の“貝吹き地蔵”です。
また川をまたぐように、両岸の岩から岩には勧請縄(かんじょうなわ)が掛けられています。これは、渓谷の上に広がる集落に、悪いものが入って来ないようにするもので、いまも毎年大晦日に掛け替えが行われています。鳴川渓谷は聖と俗との境目であり、また数々の仏たちがおわす聖なる地でもあるのです。近鉄元山上口駅からは徒歩40分、無理なくいけるハイキングコースです。
問題2 |
7月(あるいは8月)23日~24日、町内の辻々やお寺で行われる、ある仏像をお祀りする行事は、さて何でしょう。 |
正解は、地蔵盆。
夏の風物詩・地蔵盆は、全国的に見られるものの近畿地方ではとくに盛んな行事です。この日は地蔵菩薩の縁日で、お盆にかかる時期に行う大きなお祭りを「地蔵盆」といいます。この日、町内の祠やお堂、寺院に祀られる地蔵はきれいに浄められ、特別な法要を行い、その後、縁日のお祭りをします。町内で祀られる地蔵なら、周囲に提灯などをかかげ、福引をしたり、お参りに来た子どもたちにお菓子を配ったりなど、昔ながらの縁日のお祭りが行われます。
地蔵菩薩は、中世以来、現世の幸せを願うことはもちろん、死者の供養仏として、また子どもの守り神としても信仰を集めてきました。やがて地蔵と閻魔大王を同じとする説も現れ、死者との結びつきが強いところから、精霊供養の一環として、地蔵盆が広まっていったといわれます。また23日(24日)の月には3体の菩薩の姿が現れるという月待ち行事では、そのうちの1体が地蔵菩薩であると解されたことから、この日が地蔵の縁日となったようです。
奈良でも各地で行われる地蔵盆。町角で行われるお祭りはたいへん風情があります。寺院の行事としては、7月23日・24日の帯解寺の地蔵会(奈良市)、8月23日・24日の元興寺の地蔵会(奈良市)、8月24日の専光寺の地蔵盆(北葛城郡広陵町)などが知られます。帯解寺では23日のみ、20mもの帯が練り歩く岩田帯練供養が、また専光寺では立山(人形)が飾られ、夏の夜を彩ります。
問題3 |
奈良県の中部、磯城郡川西町吐田に祀られ、聖徳太子との伝承も伝わる地蔵は、あるものを掛けてお祀りすることで知られます。普通は掛けられたら嫌がりそうなその液体とは、さて何でしょう。 |
正解は、油。
奈良県の中部を流れる大和川の堤防の南、磯城郡川西町吐田の田園地帯に祀られるお地蔵様は、その名も「油掛地蔵尊」といいます。像の高さは台座も含めて約61cm。大永3年(1523)に建てられた古い地蔵で、願いがかなった日に油を掛けたことから、油で黒光りしています。いまも7月の地蔵盆に、油掛け供養が行われています。
油掛地蔵尊が祀られているのは、むかし聖徳太子が通ったという筋違い道の近く。洪水など、水の被害が大きかった地にある地蔵が水につかるのを太子が嘆き、油を塗れば水を防げると塗ったのが始まりと伝承にはありますが、地蔵が造られたのは太子が生きた時代よりもずっとあとのことです。このエピソードは、聖徳太子と油掛地蔵尊とが、村人にどれだけ親しまれてきたかをよく表しているといえるでしょう。
この地蔵については、ほかにもいくつもの伝承が残っています。たとえば、できものに悩み、寺蔵に願掛けをしていた娘が、たまたま患部に地蔵の油をつけてしまったところ、あっという間に治った話。このため、油掛地蔵尊は「できもの」を治してくれるお地蔵様としても知られています。