第78回 勝手に奈良検定
問題1 |
大きな華やかな花扇。この扇が用いられるお祭りは、さて何でしょう。 |
正解は、采女祭。
采女祭は毎年中秋の名月の夜に、奈良市の猿沢池畔の采女神社で行われるお祭りです。前日に宵宮祭があり、当日17時から花扇奉納行列がJR奈良駅を出発、三条通りを中心に奈良の繁華街を練り歩き、猿沢池に到着します。18時から花扇奉納神事、19時からは管絃船の儀が行われ、猿沢池を2艘の船が2周し、最後に花扇を水面に浮かべます。その後、花扇は引き上げられ、采女神社で間近に見ることができます。秋の草花で彩られた高さ2mにもなる美しい扇です。
采女祭は、悲しい采女伝説にもとづくお祭りです。采女とは天皇のお世話をする女官のことですが、かつて帝の寵愛を受けた1人の采女が、帝が他の女性に心移りをされたことをひどく嘆き、猿沢池に身を投げたといいます。人々は彼女の霊をなぐさめるために池の畔にお社を建て、祀りました。ところがお社は、采女が身を投げた池を見るにしのびず、一夜にして池と反対の方向に向いてしまったといいます。いまでも鳥居に対してお社は後ろ向きとなっています。
2012年は宵宮は9月29日、本祭は30日に行われます。28、29日の10時~16時は、一般の人も管絃船に乗り猿沢池を2周することができます。また30日には、東北と奈良南部の復興に願いを込めた「いのり星」の献灯をすることができます(16時~19時30分販売、18時~20時放流)。なお、采女神社では、運命の人と赤い糸で結ばれますようにとの願いを込める糸占いをすることができ、若い女性の人気を集めています。
問題2 |
吉野郡大淀町では、ある果物の栽培が盛んです。町のマスコットキャラクターであり、国内では千葉や茨城、鳥取で生産が盛んな果物といえば、さて何でしょう。 |
正解は、梨(ナシ)。
大淀町の梨栽培の歴史は古く、明治20年ごろから栽培がはじめられ、その歴史は100年以上にもなります。温暖な気候となだらかに広がる大阿太高原の丘陵地が、果実栽培に適していたといえます。8月中旬~9月にかけては、梨狩りを楽しむ人々で賑わいます。
現在、大阿太高原には約70件の栽培農家があり、おもに「二十世紀」を栽培、他にも「幸水」「豊水」や、近年では「ラ・フランス」などの洋梨も栽培されています。大淀町の梨の特徴は糖度が高いこと。大阿太高原の土壌は粘質で通気性が悪いのですが、これがかえって幸いし、梨の根が地中の浅いところを横に広がって、空気中の酸素を多く取り込むため、梨の味がより濃くみずみずしいものになるのです。
大淀町のキャラクター「よどりちゃん」は、梨をモチーフにした女の子。大淀町の果樹農園では、8月中旬~10月末までブドウ狩り、10月中旬からはリンゴ狩りも楽しめます。
問題3 |
「碾磑門」「手掻門」とも書き表され、「佐保路門」とも呼ばれた天平時代の門といえば、さて何でしょう。 |
正解は、転害門(てがいもん)
奈良市の手貝町にある転害門は、平城京の一条大路の東端に位置する東大寺の門です。聖武天皇が大仏の無事の造立を願い、大分の宇佐八幡宮から八幡神を勧請したとき、八幡神が入った門といわれ、10月5日には東大寺法華堂の南に鎮座する手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)により、転害門で転害会(てがいえ)が行われています。
転害門が位置するのは、東大寺の境内の西北にあたります。治承4年(1180)の平重衡の南都焼打ちや、永禄10年(1567)の三好松永の戦いの戦火からも免れた創建当時の建物で、三間一戸八脚門の形式の堂々とした姿に、奈良時代の東大寺の姿が想像されます。
「転害」の名前の由来については諸説あって不明ですが、大仏殿の西北にあり、害を吉に転ずる吉祥の方角にある門ということから、転害門と名付けられたといわれています。門の前の芝生の広場はこのあたりを縄張りとする鹿たちのかっこうの餌場。国道369号が目の前を通り車の往来の激しい道ながら、この一角だけ、ぽっかりとのどかな雰囲気が漂います。周辺は古くからの町家も残る「奈良きたまち」と呼ばれるエリアで、醤油醸造店や鹿角細工店など、まちかど博物館となっている商店が点在し、散策も楽しめます。