第75回 勝手に奈良検定
問題1 |
あるお寺の境内に建つこの石像。さて、いったい誰でしょう。ちなみにこのお寺は、6月に咲くあの花で知られます。 |
正解は、 久米仙人(くめのせんにん)。
久米仙人像は、あじさい寺として名高い久米寺にあります。石像の表情に、何ともいえない親しみを覚える人も多いでしょう。それもそのはず、久米仙人は“仙人らしからぬ”エピソードで知られる伝説の人物です。『今昔物語集』や『発心集(ほっしんしゅう)』などによれば、久米仙人は大和の竜門寺で仙術の修行を重ね、やがて空を飛ぶ術を身につけます。ところがある日、吉野川の上空を飛んでいたとき、川原で洗濯をする娘の白いふくらはぎに見とれ、墜落してしまうのです。
この娘を妻にして、俗人として幸せな日々を送っていた仙人。ある年のこと、高市郡(たけちぐん)に都を造営するにあたり作業にあたっていた久米仙人は、材木を飛ばして運び、工事を助けるようにいわれます。そこで昔を思い出し、仙術で山から材木を飛ばし、きれいに並べてみせました。ときの天皇はこれを褒めて久米仙人に免田30町を与えました。現在の久米寺(橿原市)は、その地に建てられたともいわれます。
この人間くさいエピソードで親しまれる仙人を偲び、久米寺では毎年10月第3日曜日、「久米仙人まつり」が催されます。仙人役が浴衣姿の女性の着物の裾を杖の先でちょっとめくってみせる、ユニークな仙人踊りが披露されるほか、長寿、縁結び、下の病気除けなどの祈祷も行われます。
問題2 |
「この日にこれを植えるとよく育つ」という中国の言い伝えにちなみ、このお寺では6月、日本人の生活に密着したある植物を供養します。このお寺はいったいどこでしょう。またこの植物はなんでしょうか。 |
正解は、大安寺と竹。
中国では古くから、陰暦の5月13日(新暦の6月23日前後)を、竹酔日(ちくすいにち)といい、この日に竹を植えるとよく育つと信じられてきました。言葉のとおり、この日は竹が酒に酔ったような状態になっているため、移植されてもそれと気づかずによく根付くというものです。竹酔日は、ほかにも竹迷日(たけめいにち)などの呼称があります。
南都大安寺は竹にゆかりの深い「竹の寺」です。奈良時代、長い皇太子時代を過ごした光仁天皇は、大安寺の竹林から伐った竹で酒を楽しみ健康を維持し、ついには62歳の高齢で即位、73歳まで在位しました。竹はビタミンCやクロロフィル、カルシウムをよく含み、漢方にも用いられる健康に効果のある植物といわれます。大安寺では1月23日に光仁会(こうにんえ)を営み、笹酒まつりを催します。境内にはいまも竹林が大切に育てられていますが、それらは「大安寺竹」として知られ、弘法大師や大安寺僧侶によって日本各地に伝えられました。
毎年6月に行われる「竹供養」は、日本人の生活に欠かせない竹に感謝する法要です。竹は建材、生活用具、工芸品、薬など、さまざまに活用されてきました。当日は朝早くから「癌封じ」の祈祷が行われ、境内では笹娘による大安寺名物笹酒のふるまいがあります。また本堂左手の竹林で午後から竹供養法要が行われるほか、虚無僧の尺八奉納演奏、銘竹の植樹なども行われます。竹に感謝を捧げる珍しい法要です。
問題3 |
唐招提寺といえば苦難を乗り越えて来日した鑑真和上を思い浮かべます。その姿を刻む鑑真和上坐像は、いまも御影堂に安置されています。では、その御影堂を飾る荘厳な障壁画は、いったい誰の手によるものでしょうか。 |
正解は、東山魁夷(ひがしやまかいい)。
東山魁夷(1908-1999)は、近現代を代表する日本画家で、明治41年(1908)に横浜に生まれました。本名は新吉。東京美術学校(現在の東京藝術大學)を卒業、昭和22年(1947)の第3回日展で『残照』が特選となると、以後、日本絵画における中心的人物として活躍、国民的日本画家として多くのファンを魅了しました。
唐招提寺の御影堂障壁画は、昭和46年(1971)から制作が始められ、実に約10年もの歳月をかけて完成されました。日本の風土を描いた「山雲(さんうん)」「濤声(とうせい)」は、目も覚めるような鮮やかさな色彩が目を引きます。対照的に「揚州薫風(ようしゅうくんぷう)」「黄山暁雲(こうざんぎょううん)」「桂林月宵(けいりんげっしょう)」といった鑑真和上の故郷の風景は、墨一色で描かれます。また坐像を安置する厨子の扉絵「瑞光(ずいこう)」も魁夷の手によるものです。
御影堂(重要文化財、江戸時代)は境内の北側にあり、ふだんは非公開の建物です。もともとは興福寺一乗院の遺構で、昭和38年(1964)移築、復元されました。鑑真和上の命日は6月6日。5日~6日には開山忌舎利会(かいざんきしゃりえ)が営まれますが、これにあわせ、6月5日~7日に御影堂の特別公開が行われ、鑑真和上像ならびに障壁画が特別拝観できます。