第71回 勝手に奈良検定
問題1 |
この大きな顔の鬼、いったいどこのお寺で会えるでしょうか。 |
正解は、長谷寺。
この鬼は「だだおし」の名前で知られる行事に登場します。「だだおし」は長谷寺の修二会(しゅにえ)の最終日(毎年2月14日)に行われる勇壮な行事です。
長谷寺の修二会は、人々の罪やけがれを十一面観音に懺悔し、悪魔退散、無病息災、万民豊楽(ばんみんぶらく)を祈る法要で、2月8日から2月14日の7日間にわたって行われます。最終日の14日、法要の結願(けちがん)の宝印授与が行われ、堂内に太鼓やほら貝が鳴り響くと、長さ2尺を超える大きな面をつけた赤・青・緑の3匹の鬼が現れ、堂内で暴れます。これを僧侶が堂外へ追い出し、外に出た鬼たちを、今度は男衆が松明を担いで追い立てます。お堂を3周駆け回ると鬼たちは退散していきます。
長谷寺のだだおしは、東大寺二月堂の修二会とともに、大和に春を呼ぶ火祭りとして知られる伝統行事。ちなみに法隆寺西円堂の修二会、薬師寺の花会式(はなえしき)でも、最後に鬼たちが登場し、松明を持って大暴れします。大和の春と鬼たちとは切っても切れない関係にあるようです。
問題2 |
1の寺の東にあり、本堂からもよく見える照葉樹林で知られる山といったら、さて何山でしょうか。 |
正解は、与喜山(よきさん)。
「与喜山暖帯林」は、約360ヘクタールの広がりをもつ照葉樹林で、国の天然記念物となっています。与喜天満神社の社叢(しゃそう)として本殿裏手に広がっていますが、古くは長谷寺の聖域で、木々の伐採が禁じられてきたため、その貴重な植生が守られてきました。
与喜山暖帯林は、山麓にイチイガシの林が、また中腹から山頂にかけてはコジイの林が見られます。背の低い植物が鹿などの草食動物のえさとなることも少なく、林層がバラエティーに富んでいて、厚みがあるのが特徴です。たとえば山麓のイチイガシ林では、シラカシ、スギ、アラカシが混生し、ジュズネノキ、ムヨウラン、ハナミョウガ、暖地性のシダ類などが林床を埋めています。また山頂部のコジイ林には、ヒノキやタカノツメ、ヤブラン、ヤブツバキなどが見られます。
奈良県内の社寺の森(杜)は、春日山原始林をはじめ聖域として守られてきた場所が多く、原始の姿に近い植生がよく観察できます。なかでもこの与喜山暖帯林は山頂から麓まで密度の高い森が残されています。長谷寺本堂からは、まさに木々の枝が密生し、もこもこと盛り上がるかのような山容が眺められます。
問題3 |
創建には諸説が伝わる室生寺。そのうちの一説には、賢けい(けんけい)という僧侶が寺を開いたといいます。さて、この僧は、どこの寺の僧だったでしょうか。 |
正解は、興福寺。
室生寺の創建には諸説があり、役小角(えんのおづぬ)が開き空海が真言道場として再興したとか、龍穴神社の神宮寺として建てられたなど、いずれも定かではありません。
奈良時代末期、まだ桓武天皇が皇太子だったころ重い病気にかかり、これを治そうと興福寺の大僧都であった賢けいら5人の僧が、室生の地で延命の法を修めたといいます。祈願の利益があったため、賢けいは国家の安泰を願い、この地に山寺を開いたといわれます。
興福寺は古代から中世、近世に至るまで、大和を支配するといわれたほど強大な勢力を誇っていました。実際に室生寺は、興福寺と深いつながりがありました。ことに祈雨のときには興福寺の僧侶がたびたび派遣され、慣例化しています。奈良から遠く離れた室生の山中まで、興福寺の勢力が及んでいたことがわかります。しかし江戸時代の元禄11年(1698)に、徳川綱吉の生母である桂昌院が室生寺を興福寺から離し、真言宗豊山派の山岳道場として確立させてからは、女人高野として発達しました。現在は真言宗室生寺派の大本山となっています。