第66回 勝手に奈良検定
問題1 |
この眺め、さてどこのお寺のどの建物からの眺めでしょう? |
正解は、長谷寺の本堂。
真言宗豊山派総本山長谷寺は、西国三十三所第八番札所として全国に200万人もの檀信徒をもつ大寺です。創建は朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために、初瀬山の西の岡に「銅板法華説相図」を安置。さらに神亀4年(727)、徳道上人が聖武天皇の勅願により、東の岡に十一面観音像を安置したことに始まります。
山の斜面を覆うように建つ長谷寺の大伽藍ですが、長い間には何度も火災に遭い再興を繰り返してきました。国宝の本堂(大悲閣)は、徳川幕府により大々的な造営が行われたものです。小初瀬山の急斜面に舞台のようにせり出した舞台造で、本尊十一面観音立像を祀ることから観音堂とも呼ばれます。間口、奥行きとも9間の本瓦葺で、正堂と礼堂(らいどう)を一つにした双堂という様式になっており、2つの間は石敷の土間(拝所)で仕切られています。平成16年12月に国宝の指定を受けました。
写真は、この本堂の礼堂から、舞台の方(南)を見たところです。観音像に向き合う礼堂の床は、柱がくっきりと映し出されるほどよく磨かれ、連綿と続く信仰の深さが感じられます。礼堂の向こうに広がる舞台からは、緑濃い山々のなかに登廊や五重塔など、長谷寺の大伽藍が一望できます。また秋の紅葉は見事の一語。燃え立つような紅葉を楽しもうと、大勢の参拝客で賑わいます。
問題2 |
奈良県安堵町出身で、1955年、第1回重要無形文化財技術保持者となった日本を代表する陶芸家といえば、さて誰でしょう。 |
正解は、富本健吉(とみもとけんきち)。
富本健吉は、明治19年(1886)、東安堵の旧家に生まれました。東京美術学校に入学、ロンドン自費留学から帰国後、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチに影響を受け、本格的に陶芸の道に進みます。
その作家人生は、作風によって大きく3期に分けられています。大正2年(1913)~大正15(1926)年の大正時代は、楽焼や安堵の自然を描くなど素朴さにあふれ、「模様の富本」とも呼ばれました。続く昭和20年(1945)までの東京時代には、生活のなかの陶磁器を念頭に、四弁花連続文様などを描いた独自の色絵磁器を完成します。さらに晩年までの京都時代には、金銀彩の華やかな装飾を考案、また文字模様も多用しました。昭和38年(1963)没、享年77歳。新しい作品に挑み続けた生涯でした。
その作品を間近に鑑賞できるのが、富本憲吉記念館。生家を改装し昭和49年に開館しました。大和の伝統的な民家の造りが感じられる本館、愛用の離れ、土蔵などの建物に富本作品が常設され、心落ち着く空間となっています。また9月6日~10月10日まで、奈良市の奈良県立美術館で「富本健吉~模様の世界~」展が開催されます。模様とは何かを追求し続けた、富本健吉の独特の世界が展開されます。
問題3 |
「コスモス、十三重石塔、楼門」といえば、この奈良の古刹はどこでしょう。 |
正解は、般若寺(はんにゃじ)。
般若寺の創建は奈良時代までさかのぼると考えられています。しかし奈良と京都を結ぶ京街道沿いに立地したため、伽藍は何度も戦火に焼かれました。現在残る楼門(国宝)や経蔵(重文)は、鎌倉時代の建造物です。また寺のシンボルである十三重石塔(重文)は、天平7(735)年、聖武天皇のとき、平城京の鬼門を鎮めるために造営されたと伝えますが、現存している塔は建長5年(1253)ころ、宋の石工が作ったものです。
般若寺といえば、秋のコスモスでよく知られます。9月~11月、本堂(重文)や十三重石塔を囲むように、人の背丈ほどもあるコスモスが10万本も咲き乱れ、境内はピンクや赤、白など華やかな色に彩られます。境内に何体も置かれた石仏も可憐な花に寄り添われ、静かに微笑むようです。秋のコスモスも見事ですが、境内が黄一色に染まる春のやまぶきもオススメです。
般若寺付近からは、集落の細い路地を西へ抜けて、黒髪神社や興福院、不退寺、さらに平城宮跡の方へ歩いていくことができます。この佐保・佐紀路もコスモスが美しい道。ところどころで可憐な花を風に揺らし、秋の歴史の道を彩ってくれます。