第59回 勝手に奈良検定
問題1 |
2月14日、長谷寺の「修二会(しゅにえ)」の締めくくりとして行われる行事は、鬼が登場することで知られます。何と呼ばれる行事でしょうか。 |
正解は、だだおし。
「だだおし」は、2月8日から行われている修二会の結願(けちがん)法要で行われます。本尊十一面観音の前でさまざまな罪を懺悔する悔過(けか)法要が行われたのち、参拝者の額(ひたい)に無病息災の宝印が押され、牛玉符(ごおうふだ)の加持が行われます。
この儀式が終わるころ、ほら貝と太鼓の音が鳴り響き、本堂に鬼が登場します。大松明とともに鬼は本堂の回りを走りますが、やがて外に出てきます。緑鬼は時計回りに3周、青鬼は反時計回りに3周し、参列者の中にも飛び込んできます。
その後、60cmほどもある大きな鬼の面をかぶった赤鬼が、大松明をかついで躍り出てくると、参拝者が追いかけて大松明を奪い、鬼を退散させます。長谷寺のだだおしは、大和に春を呼ぶ一大火祭りの一つとして知られます。
問題2 |
興福寺の僧によって書き継がれたこの日記は、戦国時代から近世初期の奈良を物語る貴重な史料としても知られます。何と呼ばれる日記でしょうか。 |
正解は、『多聞院日記(たもんいんにっき)』。
『多聞院日記』は、興福寺の塔頭(たっちゅう)寺院である多聞院の僧、英俊をはじめ、三代の筆者により書き綴られた日記です。46冊に及ぶ日記には、文明10年(1478)から元和4年(1618)まで、140年間の出来事が書かれています。
お寺の日常生活を記した日記ですが、その内容からは、当時の文化をはじめ、政治、社会情勢を伺い知ることができます。足利義輝の暗殺をはじめ、織田信長が大和の政策に関わったこと、松永久秀による東大寺大仏殿焼き討ち、松永・筒井両氏の戦乱に巻き込まれた大和のようす、豊臣秀吉が諸大名に与えた妻子上洛令など、さまざまなことが記されています。また当時、僧坊酒を造っていたことから、日本酒の仕込み方についても記されています。
『多聞院日記』は、室町時代末期から、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代初頭の奈良を知る上で、たいへん貴重な史料として知られます。
問題3 |
奈良三大梅林の一つであるこの梅林には、一目万本、見返り千本、奥ノ千本など、吉野山の桜になぞられた名がつけられています。この梅林は、どこでしょうか。 |
正解は、賀名生梅林(あのうばいりん)。
賀名生梅林は五條市西吉野町(旧西吉野村)にあり、奈良県の三大梅林(賀名生梅林、月ヶ瀬梅林、広橋梅林)のなかでも最大規模を誇ります。最盛期には約2万本もの純白や薄紅色の梅で覆われ、芳しい香りが丘陵一帯に漂います。
この地にはかつて南北朝時代、南朝の行宮(あんぐう)が置かれました。足利尊氏によって都を追われた後醍醐天皇は、吉野へ行く途中で賀名生の地に立ち寄り、堀孫太郎の邸宅に迎えられました。賀名生梅林の麓には、茅葺の素朴な賀名生皇居跡(堀家邸宅)が残されています。正平6年(1351)に北朝が否定されると、多くの公卿たちもこの地に参じました。そのため、南朝第2代の後村上天皇は「南朝が正統と認められた、願いが叶った」と、古くから「穴生(あなう)」と呼ばれていたこの地を「加名生(かなう)」と改めたといいます。なお現在の「賀名生」の地名は明治になって統一されたものです。
梅林には、南朝の天皇たちの思い出深い吉野にちなみ、吉野山の桜になぞらえて「口千本」「一目万本」「見返り千本」「東雲千本」「奥ノ千本」などと呼ばれるビューポイントがあります。梅の花は2月下旬から3月下旬まで、麓から山頂に向かって咲き登っていきます。3月も終わり頃には桜の花も咲き始め、山里はあふれんばかりの春に包まれます。