第48回 勝手に奈良検定
問題1 |
奈良市にある法華寺の境内には、病気療養者のために設けられたある施設が残っています。何と呼ばれる施設でしょうか。 |
正解はから風呂。
法華寺は、聖武天皇の皇后・光明皇后の発願により、総国分尼寺(そうこくぶんにじ)として建立され、中宮寺・円照寺とともに大和の三門跡尼寺(さんもんぜきにじ)の1つに数えられています。光明皇后の父であった藤原不比等(ふひと)の邸宅跡を皇后宮(こうごうぐう)とし、後に宮寺となりました。
本堂に安置されている秘仏十一面観音立像(国宝)は、右足の第一指がやや持ち上がり、歩み出そうとする瞬間を表現している姿で知られ、モデルは光明皇后と伝えられています。横笛堂(よこぶえどう)は、滝口入道(たきぐちにゅうどう)との悲恋で知られる横笛が住んだとされる建物。仙洞御所(せんとうごしょ)の庭を移したといわれる庭園は、江戸初期の名園として知られます。
「からふろ」(国の重要有形民俗文化財)は、慈悲深かった光明皇后が、貧しい病気療養者のために設けたといわれる蒸し風呂で、現在の建物は江戸時代のもの。ヒノキを燃やして釜で水を沸かし、その蒸気を浴室に行き渡らせる古代のサウナです。仏教に深く帰依した皇后は、千人の病人を救いたいと願い、自ら病人の垢を流したといわれています。
問題2 |
奈良市にあるこのお寺の御本尊「阿弥陀如来」は木造の美しい裸形の阿弥陀仏で、袴(はかま)をつけています。何という名前のお寺でしょうか。 |
正解はれんじょう寺。
れんじょう寺は東大寺ゆかりの行基の開基とされ、平城遷都で飛鳥の「紀寺」(きでら)を遷して創建されました。平安時代に紀家一族が中興し、紀家の氏寺となりました。御本尊は、普段は秘仏となっている「阿弥陀如来立像」。光明皇后をモデルにしたといわれる慈悲に満ちた女人仏で、裸形をしているため下半身に袴をつけています。
以前は、袴を取り替える50年に1度だけしか公開されない秘仏でしたが、現在は毎年5月1日~31日に拝観することができます。ただし2010年のみ10月1日~31日も開帳されます。足元には雲がたなびき、勢至菩薩(せいしぼさつ)と観音菩薩が脇持仏(わきじぶつ)となっています。
問題3 |
幕末の奈良奉行であったこの人は、5年間の在職中、現在の奈良公園の基礎を築きました。ロシア使節プチャーチンとの日露和親条約を調印したことでも知られるこの人は、誰でしょう。 |
正解は川路聖謨(かわじとしあきら)。
川路聖謨(1801~1868年)は、豊後(大分県)日田の生まれ。12歳で川路家の養子となり、下級幕吏、支配勘定を経て、水野忠邦が天保の改革で失脚した後、奈良奉行に左遷されました。
奈良奉行での5年間、東大寺・興福寺を中心とした奈良町に大規模な植樹をし、現在の奈良公園の礎を築きました。この間、貧民救済も実施し、その善政はいまも奈良市民に慕われています。また、行方がわからなくなっていた神武天皇陵を探した『神武御陵考』や、日記『寧府紀事(ねいふきじ)』を著しました。
その後、大坂東町奉行、公事方勘定奉行に就任。嘉永6(1853)年、ペリー艦隊来航に際して開国を唱え、長崎に来航したロシア使節プチャーチンと交渉、安政元(1854)年に下田で日露和親条約に調印しました。「ヨーロッパでも珍しいほどのウィットと知性を備えた人物である」と帰国後のプチャーチンは述べていますが、ロシア側は川路の人柄に大変魅力を感じたようです。