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勝手に奈良検定

第47回 勝手に奈良検定

問題1

吉野郡東吉野村にあるこの山は、関西のマッターホルンとも呼ばれ、冬期には樹氷も見られます。何という名前の山でしょうか。

第47回 勝手に奈良検定

正解

正解は高見山。

奈良と三重の県境にそびえる麗峰、高見山。中央構造線に沿って、伊勢参詣や紀州藩の参勤交代に利用された南麓の高見峠や、三重県境の三峰山(みうねさん)があり、その中間部に位置しています。標高は1249m、尖った山容から関西のマッターホルンの呼び名もあります。

『万葉集』巻一で、石上麻呂(いそのかみのまろ)が詠んだ、「吾妹子をいざみの山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも」(いざ見の山が高いので大和の国が見えない。あるいは国が遠いからか)の「いざ見の山」が、この高見山ではないかと言われています。山頂には、神武天皇が東征の折りに、道案内をつとめた八咫烏(やたがらす)をまつる高角(たかつの)神社があります。

冬期、山頂付近では、木の枝に氷の華が咲いたように見える樹氷が見られます。気温が氷点下となったときに、空気中の水分が樹木に凍りつく自然現象で、関西で樹氷が見られる山として、多くの登山者に愛されています。

問題2

寅年の今年、寅の寺として有名な信貴山朝護孫子寺ではさまざまな行事が開催されますが、このお寺の御本尊は何という名前でしょうか。

正解

正解は毘沙門天王(びしゃもんてんおう)。

信貴山の中腹にある朝護孫子寺は、聖徳太子によって開かれ、日本で最初に毘沙門天王が出現したという縁起をもちます。582年の寅年、寅の日、寅の刻に、毘沙門天王を感得した聖徳太子が、その力を得て物部守屋(もののべのもりや)を討ったのち、自ら毘沙門天王の像を彫って「信ずべき貴ぶべき山」として「信貴山」に伽藍を建立しました。

日本では七福神の一人としてなじみのある毘沙門天ですが、もともとは大黒天・弁財天などとともにインド・中国からきた神様。インドでは悪鬼を退治した戦勝の神で、戦国時代には武田信玄ら多くの武将の信仰を集めました。

12年に1度の寅年にあたる今年は盛大な法会が厳修(ごんしゅう)され、毘沙門天王の奥秘仏御開帳をはじめ、毘沙門灌頂(びしゃもんかんじょう)厳修、日本アニメのルーツとも言われる「国宝・信貴山縁起絵巻」の特別出陳など、さまざまな行祭事が開催されます。

問題3

天理市にある良因寺(りょういんじ)を建立し、六歌仙の一人としても名高い平安時代の僧は、誰でしょう。

正解

正解は遍照(へんじょう)。

遍照(816~890)は、俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、六歌仙および三十六歌仙の一人です。「小倉百人一首」の中の歌『あまつ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』の作者として知られます。桓武天皇の孫という高貴な生まれで、仁明天皇の蔵人(くろうど)として寵遇されましたが、天皇崩御によって出家し、天台宗の僧となります。僧正の位にまで昇進、花山僧正と呼ばれました。

良因寺は、石上(いそのかみ)寺とも呼ばれ、寺領約4000坪もあった大寺で、僧正遍照が建立したといわれています。 『後撰和歌集』によると、僧正遍照が住んでいたこの寺に小野小町が訪れ、つぎのような歌を詠み交わしています。

いそのかみに旅寝をすればいと寒し 苔の衣をわれに借さなむ 小町
世をそむく苔の衣はただ一重 かさねばうとしいざふたり寝む 遍照

30歳を越え、“男嫌い”であった小野小町と僧正遍照との出会いをはじめ、出家前の逸話や僧としての不思議な力など、僧正遍照は多くの説話の主人公として知られます。

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