第44回 勝手に奈良検定
問題1 |
桜井市金屋のあたりは、古代に市が立ち、多くの人々で賑わいました。この市は、何と呼ばれていたでしょうか。 |
正解は海石榴市(つばいち)。
海石榴市(つばいち)は、三輪を経て奈良へ続く道、初瀬への初瀬街道、飛鳥への磐余(いわれ)の道、大阪河内和泉への道などが集まるところに立った市(いち)で、いわば古代の物流の中心地でした。また大和川の水運を利用して、大阪難波津に到着した大陸の使節もこの地までさかのぼってきました。海石榴市には、椿の花をシンボルとして祭っていたことからその名がついたと言われています。
また古代の市は、物資が交換される場であるとともに、人が多く集まることから、男女の出会いの場でもありました。春と秋には若者たちが集まり、歌に思いを乗せて恋のかけひきを行う「歌垣(うたがき)」も行われました。海石榴市は『枕草子』『源氏物語』『蜻蛉(かげろう)日記』などの文学作品にも登場しています。
問題2 |
平成の修復が終わり、11月、落慶法要が営まれる唐招提寺金堂。この金堂に安置されている御本尊は何でしょうか。 |
正解は盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)。
鑑真和上ゆかりの寺として名高い唐招提寺。南大門を入って正面にある金堂は、天平時代建立の寺院金堂として現存する唯一のものです。その金堂には、中央に盧舎那仏坐像、向かって左側に千手観音立像(せんじゅかんのんりゅうぞう)、向かって右側に薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)が安置されています。いずれも国宝です。
本尊の盧舎那仏は、奈良時代の脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)で、高さは3m、光背の高さは5.15mにもおよびます。男性的な目元に威厳ある表情を浮かべ、量感あふれる堂々とした像です。光背には864体の化仏が現存していますが、本来は1000体だったと考えられます。
千手観音菩薩立像は、奈良時代の木心乾漆造(もくしんかんしつぞう)で、高さは5.36m。頭上に十一面をいただき、大小あわせて合計953本もの手をもち(もとは1000本だったと考えられています)、たくさんの手で衆生(しゅじょう)の困苦を救うといわれます。薬師如来立像は平安時代の木心乾漆造で、高さ3.36m。昭和47年の修理時に、左の手のひらから古銭が発見されています。
問題3 |
正倉院をはじめ古社寺にはさまざまな仮面が残っていますが、これらの古い面を模刻し、商品化した奈良の伝統工芸品は、何と呼ばれているでしょう。 |
正解は古楽面(こがくめん)。
古楽面は、仏教とともに大陸から伝わったもので、大部分は、奈良の社寺に伝えられています。面の種類は多岐にわたり、伎楽とともに「伎楽面(ぎがくめん)」が、やがて舞楽が盛んになると「舞楽面」が、さらに仏教行事で使用する「行道面」が伝来してきました。室町時代になると能楽や狂言の誕生とともに、日本独自の面が生まれました。
近代になると、舞楽・伎楽の古面を中心に、鑑賞用の模造作品が作られるようになりました。とくに第2次世界大戦後、日本固有の古美術が見直されて以降は、単に奈良のみやげ品ではなく、室内装飾用の工芸品として扱われるようになりました。奈良には、能・狂言にも使い得る木彫の面を制作する作家が活躍しています。現在作られている面の素材は、木彫、乾漆、陶土、合成樹脂などさまざまで、彩色して仕上げられています。