第42回 勝手に奈良検定
問題1 |
吉野郡十津川村にあり、紀伊山地に連なる山の頂上近く、標高1000m付近に鎮座するこの神社。神域には写真の夫婦杉をはじめとする巨杉群がそびえます。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)上にあるこの神社は、何という名前の神社でしょう。 |
正解は玉置神社(たまきじんじゃ)。
玉置神社は、吉野熊野の山並みの向こうに熊野灘を遠望することができる、標高1076mの玉置山頂上近くに鎮座しています。第10代崇神(すじん)天皇によって創建されたと伝えられています。かつては7坊15ヶ寺が点在し、熊野三山の奥の院として修験道の一大勢力を誇りました。
神域には樹齢3000年といわれる神代杉(じんだいすぎ)や常立杉(とこたちすぎ)、磐余杉(いわれすぎ)などの老樹がそびえ立っています。また山頂付近にある末社の玉石社には祠がなく、地表に露出する玉石を御神体としており、原始信仰の名残がうかがえます。『玉置山縁起』によれば、この山を護る神・大巳貴命(おおなむちのみこと)を祀るとあります。社務所は高牟婁院(たかむろいん)を改築した書院風建築で、美しい襖絵でも知られ、重要文化財に指定されています。
標高2000mもの山々が連なる大峯山脈は、役小角(えんのおづぬ=役行者(えんのぎょうじゃ))を開祖とする修験道(しゅげんどう)の聖地。「吉野・大峯」と「熊野三山」を結ぶ約170kmの山岳道は、「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」と呼ばれ、修験者が行き交う修験の道場でもあります。その道中にある玉置神社も含めて、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
問題2 |
「百味の御食(ひゃくみのおんじき)」と呼ばれる神饌(しんせん)で知られる祭は、何と言う名前の神社の何という名前の祭祀でしょうか。 |
正解は談山神社の「嘉吉祭(かきつさい)」。
談山神社は桜井市多武峰(とおのみね)にあり、藤原鎌足を祭神とする古社です。室町時代、南北朝の争いで神社に兵火が及んだ際、これを避けるために祭神・藤原鎌足の木像を飛鳥の橘寺に遷しました。嘉吉元(1441)年、神像が無事に戻ったのを祝い、祭礼をしたのが嘉吉祭の始まりといわれ、毎年10月の第2日曜日に執り行われています。
神様を喜ばせ、楽しんでもらうためにささげる供物を神饌(しんせん)といいます。「芸術的」と形容される談山神社の嘉吉祭の神饌は「百味の御食(ひゃくみのおんじき)」と呼ばれ、色彩といい文様、形状といい、どれをとっても、その美しさ、精緻さ、豪華さに圧倒されます。古くは200種類近くあったといわれる食材ですが、現在は米、銀杏、里芋栗、茄子、りんご、すだちなど約40種類です。これらをミョウガの葉をまとめた芯にクシで刺して形作られます。
「和稲(にぎしね)」は、赤・青・黄の食用紅で染められた米粒が一周42粒70段に張り付けられ、卍型や三角、菱形などの文様からなる美しいデザインに作られます。「荒稲(あらしね)」は、うるちを使った白穂にカヤの実、もち米を使った黒穂にギンナンが付けられ、天頂にはホオズキを添えた、「毛御供(けごく)」と呼ばれる美しいものです。祭神・藤原鎌足像の周りに供えられる神饌づくりは、地元多武峰地区の氏子でつくる「嘉吉祭百味の御食保存会」の人びとが地域ぐるみで協力して行っています。
問題3 |
江戸時代中期、宝暦3(1753)年に、十市郡(現在の橿原市)で起こった農民一揆は、何と呼ばれているでしょう。 |
正解は芝村騒動。
芝村藩は、大和国式上(しきじょう)郡芝村(現在の奈良県桜井市芝)に存在した藩。織田信長の弟で茶人として有名な有楽斎(うらくさい)の子長政(ながまさ)に始まりますが、8代長教(ながのり)の時代に藩の財政が窮乏し、年貢増徴政策をとるに至りました。
それまで幕府の天領であった木原や吉備などの9ヶ村は、芝村藩の預かりとなってから年貢が高くなり、年貢の引き下げを懇願していました。しかし宝暦3(1753)年は凶作であった上に、多額の年貢取り立てを受けたことで農民は激高し、芝村藩の預かりをやめてほしいと、稲の刈入れ拒否をし、さらに京都奉行所への箱訴(はこそ)に踏み切りました。箱訴とは、民衆が目安箱に投書して将軍に直訴することで、民衆の声を聞こうとした8代将軍吉宗が創案した政策です。
箱訴は合法でしたが、稲刈りの拒否や徒党を組んで訴えをしたことで、200人もの農民たちが江戸に呼び出され厳しい取り調べを受けました。37人が牢獄で死亡し、1人が死罪になるなどしました。芝村騒動は多くの犠牲を出しましたが、村民は犠牲者を義民としてまつり、後世に伝えています。橿原市の浄教寺には位牌や位牌由来記が残されています。