第39回 勝手に奈良検定
問題1 |
奈良市にあるこのお寺には、西行(さいぎょう)筆といわれる柿(こけら)経が残っています。飛鳥時代には「がごぜ」という妖怪が出たことでも知られるこのお寺。何という名前のお寺でしょうか。 |
正解は元興寺(がんごうじ)。
前身は蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(ほうこうじ)で、平城京遷都に伴って元興寺の名前で建立された南都七大寺の1つ。創建当時は、猿沢池のすぐ南から飛鳥川に至る広大な伽藍を誇りましたが、いくたびかの火災によりそのほとんどは焼失、現在は中院町の元興寺極楽坊と、芝新屋町の元興寺に分かれています。
創建当時の瓦を今も残す極楽坊の禅室と本堂からは、柿経(木片にかいたお経)や印仏、板絵、摺仏(すりぼとけ)、千体仏、塔婆など6万5000点あまりの庶民信仰資料が発見されました。なかでも奈良時代から平安初期にかけて、浄土教学を研究した三論学者智光(ちこう)にゆかりの本尊・智光曼荼羅(ちこうまんだら)は、浄土三曼荼羅の1つに数えられています。芝新屋町の元興寺には、現在国史跡となっている塔跡が残ります。
『日本霊異記』で、飛鳥時代に元興寺に現われたといわれる「がごぜ」または「元興寺の鬼」は、古典の妖怪画に僧の姿をした鬼の姿で描かれています。お化けを意味する児童語のガゴゼは、この元興寺が由来ともいわれます。飛鳥時代からの物の怪伝説を伝え、古都奈良の文化財の1つとして世界遺産にも登録されている元興寺。1300年に及ぶ数知れぬ人々の信仰の賜物は、奈良そのものを表すお寺ともいえます。
問題2 |
葛城市にある當麻寺(たいまでら)の御本尊は何でしょうか。 |
正解は當麻曼荼羅(たいままんだら)。
當麻寺は、白鳳時代に創建され、奈良時代から平安時代初期建立の三重塔東西2基を残す、全国唯一のお寺です。創建当初は三論宗でしたが、空海が滞在してからは真言宗となり、鎌倉時代以降は浄土宗が加わりました。
御本尊は極楽浄土の光景を描き上げた「當麻曼荼羅」です。奈良時代、中将姫が千巻の写経を成し遂げた功徳によって、二上山に日が沈む夕空に仏国土のすがたを感得し、極楽浄土の光景を曼荼羅にしたといい、蓮の茎から取った糸を井戸に浸して五色に染め上げ、一夜にして織り上げたと伝えられています。
當麻曼荼羅の原本は現在も當麻寺に秘蔵されています。縦横4メートル近い大作で、伝説にいう蓮糸ではなく絹糸の綴織といわれています。曼荼羅は劣化、損傷、退色が著しく、その後中世には板張りに、江戸時代には再度掛軸に改装され、何度も転写されました。永正2(1505)年、用意した絹地の上に残片を貼付け、絵の具で補って作られた「文亀曼荼羅」が、現在本堂の厨子に懸けられているものです。国宝の厨子は、高さ約5m、屋根・柱等にある金銀泥絵や金平文(ひょうもん)の装飾がみごとです。
問題3 |
宇陀市にある阿紀(あき)神社では毎年6月に能舞台が奉納されます。終盤、演目の間にあるものが放たれることで有名です。篝火(かがりび)に浮かぶ舞台に放たれる「もの」とは、何でしょうか。 |
正解は蛍。
垂仁天皇の時代、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神をまつった宇多の阿貴宮が社の起こりといわれています。阿紀神社は、古くから大和朝廷と深い関係があったといわれ、俗に神戸(かんべ)明神と呼ばれています。境内は杉木立におおわれ、神秘的で幽玄な雰囲気のなか、神明造りの本殿がひっそりと佇んでいます。
境内にある能舞台では、寛文年間から大正時代の頃まで能楽興業が行われていました。平成4年に、奈良浦声会(ほせいかい)大宇陀の方々により「あきの薪能保存会」が結成され、70年ぶりに薪能として再開することになりました。その後「あきの蛍能」と名前を変え、毎年6月〈2009年は13日(土)〉に行われています。篝火に浮かぶ舞台で能が舞われ、終盤に照明が落とされた瞬間、数百の蛍が放たれます。初夏の大宇陀の夜に広がる夢幻の世界に人々は魅了されます。