第36回 勝手に奈良検定
問題1 |
奈良市街から北東へ車で約40分。のどかな里山の風景に、枯れて凛として立つ木はこの町のシンボル。何と呼ばれている木でしょうか。 |
正解は十兵衛杉(じゅうべえすぎ)。
奈良市北東に広がる柳生(やぎゅう)の地は、武芸で名を馳せた柳生一族ゆかりの剣豪の里。白壁が美しい家老屋敷や立派な大和棟の家々が建ち、往時の村のようすをしのばせます。剣豪の誉れ高い柳生一族のふるさととして、のどかな風景の中にも剣士の凛とした空気を感じさせます。
この杉は、柳生十兵衛三厳(やぎゅうじゅうべいみつよし)(=独眼竜柳生十兵衛)が家光の密令で四国・九州に旅立つ際、柳生家元墓所であった中宮寺に植えていったと言われています。十兵衛は12年後に柳生に帰り、道場を開いて門弟13600人に柳生新陰流を教え、奥義「月之抄」を書きました。
樹齢350年以上経過し、昭和48年夏の2度にわたる落雷のために現在は枯れてしまっていますが、柳生のシンボル「十兵衛杉」は枯れてなお武者のように凛として立ち、いまも静かに村を見守っています。
問題2 |
東大寺二月堂の修二会。本行に先だつ2月28日の夕刻、咒師(しゅし)と呼ばれる練行衆(れんぎょうしゅう)が幣(へい)を手に、食堂の前で神道に似たお祓いをします。これは何と呼ばれているでしょうか。 |
正解は大中臣祓(おおなかとみのはらえ)。
今年で1258回を数える東大寺二月堂修二会。一度も途切れることなく続けられた不退の行法(ぎょうぼう)ですが、2週間の本行だけでなく約1ヶ月にわたる様々な行事からなっています。本行が始まる前日の夕刻、咒師(しゅし)が練行衆(れんぎょうしゅう)を修祓(しゅうふつ)するのが大中臣祓と呼ばれるものです。
二月堂下の食堂前で「祓松明(はらいのたいまつ)」が照らすなか、本尊をはじめ護法諸神、陰陽道(おんみょうどう)の神々を勧請(かんじょう)し、幣を手に神道の「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」に類似した詞を黙読します。その後、会場を清め、練行衆全員の祓いを行います。
薄暮のなか、詞を上げ、幣を振る咒師や祓いを受ける練行衆の姿には、仏教や神道を超越した信仰の姿がみられます。春を待ちきれない天狗たちが、これをみて騒ぎ風を起こすことから「天狗寄せ(てんぐよせ)」の別名をもちます。
問題3 |
平群(へぐり)町にある信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)に残る『国宝信貴山縁起絵巻』は、誰の一生を描いたものでしょうか。 |
正解は命蓮上人(みょうれんしょうにん)。
信貴山朝護孫子寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期12世紀の作と伝えられ、日本の絵巻物の代表作といわれています。
社寺縁起絵巻は創建の経緯等が述べられているのが普通ですが、この絵巻は信貴山で修業していた命蓮上人の奇跡譚(きせきたん)が主題となっています。「飛倉(とびくら)ノ巻」「延喜加持(えんぎかじ)ノ巻」「尼公(あまぎみ)ノ巻」の3巻からなり、日本上代世俗画の到達点といわれています。「延喜加持ノ巻」と「尼公ノ巻」には詞書(ことばがき)もあり、描かれた内容を詳しく理解することができます。「飛倉ノ巻」には詞書がありませんが『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』に同じ説話があります。
「延喜加持ノ巻」では醍醐天皇の病を命蓮が法力で治した話、「尼公ノ巻」は命蓮の姉尼公が信貴山に至り命蓮とともに信仰生活を送る様子が描かれます。ここに描かれる東大寺大仏殿は、治承4(1180)年、平重衡の南都焼き討ち前の、建立当時の大仏殿の姿を描いた唯一の資料であり、商家・農家・庶民の風俗などの描写は当時の生活を知る上で貴重な資料となっています。