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勝手に奈良検定

第35回 勝手に奈良検定

問題1

山辺の道沿いにあるこの神社は、本殿はなく簡素な鳥居だけが立っています。この辺りは『万葉集』にも数多く詠まれ、山辺の道の歌枕ともなっています。何という名前の神社でしょうか。

第35回 勝手に奈良検定

正解

正解は檜原神社(ひばらじんじゃ)。

大神神社の摂社、檜原神社は、三輪山を御神体としているため本殿はなく、鳥居だけが立ち、玉垣内には三ツ鳥居があります。崇神天皇が磯城の宮におられたとき、天照大神(あまてらすおおみかみ)を宮中に祀っていたところ、天皇と神の同床共殿は畏れ多いこととして、笠縫に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててここに天照大神を祀りました。天照大神が伊勢へ遷座された後もその跡を尊祟して祀られることとなり、今も檜原神社は「元伊勢」と伝えられています。

万葉集などで『三輪の檜原』と数多くの歌が詠まれた場所でもあります。
「いにしへにありけむ人も我がことか 三輪の檜原に挿頭(かざし)折りけむ」(昔の人も私のように三輪の檜原でかんざしを挿したのであろうか)」[万葉集巻7、1118]
「行く川の過ぎにし人の手折らねば うらぶれ立てり三輪の檜原は」(亡くなったあの人が手折(たお)らないので、三輪の檜がうらぶれて立っていることです)」[同1119]。

境内からは大和国中(くんなか)が一望でき、眼下には箸墓(はしはか)の森や二上山の姿も眺めることができます。檜原神社の注連(しめ)鳥居からの夕照は、たとえようもない美しさといわれています。

問題2

天理市にあるこの古墳からは、中国・五漢の「中平」年(184~189)の金象嵌銘(きんぞうがんめい)をもつ太刀が出土しました。国内最古の紀年銘遺物であるこの太刀が埋蔵されていたのは、何という名前の古墳でしょうか。

正解

正解は東大寺山古墳。

東大寺山古墳は、全長140mの前方後円墳です。天理市和邇(わに)から櫟本(いちのもと)にかけては、和邇氏族の拠点であったため、関連一族が築造したと考えられています。昭和35年の発掘調査で、多量の碧玉製腕飾り、武器、武具が出土しました。なかでも太刀の1本に文字が刻まれていたことで注目されました。

この太刀の鉄製刀身には、青銅製花形飾り環頭柄頭(かんとうつかがしら)がついています。本来は飾りのないものですが、同じ細工をしたものが5本出土しました。その中で「中平」の年号を持つ刀は、長さ110cmの鉄刀で、金象嵌で24文字が刻まれていました。内容は、「中平○年五月丙午の日、銘文を入れた刀を造った。よく鍛えられた刀であるから、天上では神の御意に叶い、下界では禍を避けることができる」という意味です。

「中平」は、後漢の年号で184~189年を指し、『後漢書』によるとこの頃倭国に大乱があったとされ、この乱を収めたのが卑弥呼と言われています。この太刀は中国製と考えられ、いつ日本にもたらされたのかわかりませんが、卑弥呼がもらったのではないかとする説もあります。

問題3

2月3日に行われる興福寺の節分追儺会(ついなえ)で、鬼を追い払うのは何という名前の仏様でしょうか。

正解

正解は毘沙門天(びしゃもんてん)。

節分といえば鬼。そもそも鬼は中国から伝わったものと言われています。有能な愛国者であった屈原(くつげん)という人が、左遷され河に身を投じて死んでしまいます。屈原の怨霊(鬼)がたびたび現われたため、節分の日(屈原の命日)にちまきを河に投げて霊を慰めたということです。「ちまき」が「豆」にかわり、日本では鎌倉時代頃には節分の鬼追い行事が定着しました。

興福寺ではこの伝統を引き継ぎ、東金堂で節分の夜6時から、薬師如来の前で法要を行います。7時からは鬼追いの儀式です。赤鬼(貪欲)、青鬼(怒り)、黒鬼(愚痴)と子鬼の3匹、合わせて6匹の鬼が酒盛りをして暴れているところへ、毘沙門天がやってきて鬼を追い払います。そのあと大黒天がやってきて打ち出の小槌を振り、福をもたらすということです。その後、年男年女による豆まき。福引きつきの福豆の袋や3500個の豆袋が撒かれます。

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