第30回 勝手に奈良検定
問題1 |
五條市にあるこのお寺には、天誅組(てんちゅうぐみ)が襲撃した五條代官、鈴木源内の首を洗った水盤があります。このお寺は何という名前のお寺でしょうか。 |
正解は桜井寺(さくらいじ)。
幕末の騒乱の続くなか、尊王攘夷(そんのうじょうい)派は、江戸幕府を倒し、新しい日本をつくろうとしていました。1863(文久3)年8月17日(旧暦)、現在の9月29日。19歳の中山忠光を盟主に、吉村寅太郎、松本謙三郎を中心とした勤王の志士39人が「天誅組」を結成し、天領である五條の代官所を襲撃しました。五條代官鈴木源内ら5名を斬殺(ざんさつ)、代官所を焼き払い、桜井寺を本陣に定めて「五條政府」の樹立を宣言しました。
ところが一夜にして情勢は一変、京都朝廷で「8月18日の政変」が勃発しました。尊攘派によって握られていた朝廷は、薩摩・会津両藩を中心とする公武合体派に移り、尊攘派は京都から追放され、天誅組はただの暴徒の集団となりました。しかし彼らは「一死大義に殉じ只一筋に倒幕の先駆とならん」とひたすら破滅の道を進み、9月24日東吉野で壊滅しました。桜井寺境内には、鈴木源内の首を洗ったと伝える石の水盤があり、山門前には本陣跡を示す石碑が建っています。
問題2 |
崇神陵(すじんりょう)のすぐ東にある櫛山(くしやま)古墳は、特徴ある形状をしています。この墳形は何と呼ばれているでしょう。 |
正解は双方中円墳(そうほうちゅうえんぷん)。
櫛山古墳は、崇神陵周濠の東側に築かれた柳本古墳群の一つで、古墳時代前期後半の古墳です。前方部反対側に方形の造出があるため、双方中円墳と呼ばれる特異な墳形の古墳です。この特異な墳形は、岡山県の楯築(たてつき)遺跡や香川県高松市の石清尾山(いわせおやま)古墳群の猫塚古墳があります。櫛山古墳は、猫塚のように2つの方形突出部がほぼ均等な大きさでなく、普通の前方後円部に、もう1つ短い方形の突出部がついたような形をしています。
龍王山から西にのびる尾根を利用して築かれ、前方部を西に、造出部を東に向けています。全長155m、後円部径90m、前方部幅70mで、墳丘は三段の築成です。中円部の竪穴式石室からは長持形石棺が、後円部からは多数の鍬形(くわがた)石や車輪石、土師器(はじき)の高杯がわざと壊れた状態で出土しています。これは、埋葬が終わった後、様々な日常品や勾玉などを故意に破損させて、石ころとともに大きく掘られた穴の中に投げ入れるという祭祀で、葬送の儀式にかかわる遺構と考えられています。
問題3 |
仏像には「如来(にょらい)」「菩薩(ぼさつ)」「明王(みょうおう)」「天部(てんぶ)」などの種類がありますが、このうちほとんどの如来像は、顔かたち、表情など、いくつかの特徴を守って造られています。数字で表されるこの特徴、「●十●相」といいますが、それぞれの●のなかにあてはまる数字は何でしょう。 |
正解は三とニで、「三十二相(さんじゅうにそう)」。
釈迦が悟りを開き、直接説いたとされるころには偶像崇拝がなく、仏像はありませんでした。釈迦入滅後500年以上経って、大乗仏教の発達とともにさまざまな「仏像」が造られるようになっていきました。如来は悟りを開いた釈迦がモデル。「真如の世界へ去り、また真如の世界より来られし者」、すなわち修業を完成し、真理・悟りを開いた人の意味です。そのため、人間にはないすばらしい特徴が、体のあちらこちらに見られるといいます。これが「三十二相」です。
「三十二相」には足下二輪相(そくげにりんそう/足の裏に輪の形の相がある)、金色相(全身が金色に輝く)、白毫相(眉間に右巻きの白い毛があり光を発する)などがあります。また三十二相をさらに詳細に述べたものに「八十種好(はちじっしゅごう)」があり、眉は新月のように細く美しく、耳輪は長くたれ、腹は細く、へそは深く右渦をまくなどがあります。ちなみに、顔をくしゃくしゃにして笑い喜ぶことを「相好(そうごう)を崩す」といいますが、これは「三十二相八十種好」からきた言葉です。