第28回 勝手に奈良検定
問題1 |
吉野町飯貝にあり、別名「飯貝御坊(いいがいごぼう)」とも呼ばれているこのお寺。境内には、「吉野川 心とどまる 河面に すみても見ばや ここにいひが井」という蓮如(れんにょ)の歌碑があります。このお寺は、何という名前でしょうか。 |
正解は本善寺(ほんぜんじ)。
近鉄大和上市駅の対岸、飯貝(いいがい)の地に、城郭のような堂々たる構えを見せている本善寺は、本願寺第8世蓮如上人が文明8年(1476)に創建した浄土真宗のお寺です。この地方はもともと吉野修験道や高野山の勢力が強かったのですが、阿弥陀如来の教えを説いた布教の結果、浄土真宗に帰依(きえ)する人が増え、お寺の建立となりました。そのときの蓮如の心境を詠んだ歌が、境内に歌碑となっています。
本願寺の「本」をとり、寺号を「本善寺」として飯貝御坊と呼び、吉野川下流の下市町には本願寺の「願」をとり、「願行寺(がんぎょうじ)」を建てて「下市御坊」と呼びました。本善寺は以後、大和の中本山といわれ、大和地方の浄土真宗の信仰と布教の中心となっていきました。
問題2 |
奈良県のある仏像は、エジプトの大スフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで、「世界の三大微笑」とも呼ばれています。何という名前のお寺にある、何という名前の仏像でしょうか。 |
正解は中宮寺(ちゅうぐうじ)の木造菩薩半跏(はんか)像。
斑鳩の里にある中宮寺は、法隆寺や四天王寺などとともに、聖徳太子が建立した7つのお寺の1つで、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のために造られたといわれています。昭和38年に現中宮寺の東方に旧中宮寺跡が発掘され、南北に並ぶ塔や金堂跡から、四天王寺式の配置伽藍であることがわかりました。
国宝の天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)は、聖徳太子の死後、妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子を偲んで、太子が往生した理想浄土のありさまを作らせたという日本最古の繍帳。もとは二帳で400字の銘文が刺繍されている曼荼羅です。
本尊の木造菩薩半跏像(国宝)は、丸い台座に左足を踏み下げて座り、右足を左足膝上に安んじ、頬に右の指先を当てた思惟のポーズをとっています。気品ある微笑たたえるこの像を、和辻哲郎は『古寺巡礼』のなかで日本芸術の最も優れた代表者として挙げています。瞑想する静かな心をこれほどまでに美しくあらわす像は稀です。飛鳥時代の最高傑作であるとともに、我が国美術史上欠かすことの出来ない地位を占める仏像です。
問題3 |
信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)門前に、日本最古の珍しい構造をもつ橋があります。国の登録有形文化財に選定されているこの赤い橋は、何と呼ばれているでしょうか。 |
正解は開運橋(かいうんばし)。
朝護孫子寺の南側、大門池にかかる開運橋は、寺と対岸の商店街とを結ぶ赤い橋。かつて走っていた山上電車の終点・信貴山門駅から、まっすぐに朝護孫子寺へ向かう近道として、昭和6年に架けられた鉄橋です。全長106m、幅約4m、橋の上には寅の車止めがデザインされ、まさに朝護孫子寺へつづくプロムナード。
この開運橋は、日本最古の「カンチレバー」という構造をもつ非常に珍しい橋。カンチレバーとは、橋脚の左右でバランスをとりながら少しずつ橋桁(はしげた)を伸ばす工法で、第2次世界大戦前に架けられた橋で現存するのは、開運橋と長野県小諸市の中津橋の2例だけです。さらに、橋を支える橋脚は「トレッスル橋脚」といい、架け替え工事が決まったJR山陰線余部(あまるべ)鉄橋と同じ構造となっています。これら非常に珍しく貴重な構造をもつ開運橋は、2007年6月、その文化財的価値が認められ、国の登録有形文化財に選定されています。