第26回 勝手に奈良検定
問題1 |
香芝市にあり、平安時代の高僧で「往生要集」の著者・恵心僧都(えしんそうず、写真)誕生のお寺といわれているのは、何という名前のお寺でしょう。 |
正解は「阿日寺」。
阿日寺は、平安中期の天台宗の高僧、源信(げんしん・通称恵心僧都)ゆかりの寺です。阿日寺という寺名は、親孝行の源信が母の為に阿弥陀如来像を、父のために大日如来像を本尊としたことからつけられたといわれています。阿弥陀如来像は無病長寿、安楽往生に霊験あらたかな仏で、「ぽっくりさん」として親しまれています。
源信は、比叡山横川恵心院に住んだことから「恵心僧都」と呼ばれた天台宗の高僧で、浄土教の基礎となった『往生要集』を著しました。このなかで生前に悪行を積んだものは六道という生死を繰り返す輪廻の世界の地獄に落ち、功徳を積んだものは極楽浄土に迎えられると説いています。本堂の欄間には雲に乗って迎えにくる二十五菩薩来迎のようすが刻まれています。
問題2 |
奈良市にある白毫寺(びゃくごうじ)は、鎌倉時代、西大寺の祖・頴尊(えいそん)が再建しましたが、その弟子道照が宋からもたらしたお経にちなみ、別名何寺と呼ばれているでしょう。 |
正解は「一切経寺(いっさいきょうじ)」。
白毫寺は奈良市の高円山(たかまどやま)西麓にあり、天智天皇の第7皇子志貴親王の邸宅跡に建てられたといわれています。白毫とは、仏の眉間にあって常に光明を発している白い毛のことで、仏像では珠玉となっています。
鎌倉時代に叡尊(えいそん)が再興し、弟子の道照が中国から持ち帰った「宋版一切経」を経蔵におさめ、毎年4月8日に法要を行ったことから「一切経寺」と呼ばれるようになりました。奈良では、お彼岸を過ぎてまだ寒いとき、「暑さ寒さも彼岸まで、まだあるわいな一切経」といい、一切経法要が終わらないと本格的な春が来ないと言われます。
問題3 |
江戸時代から、南都近郊の般若寺村、疋田(ひきた)村を中心に、農村の副業として生産されてきた伝統品は、何でしょう。 |
正解は「奈良晒(ならざらし)」。
日本へ最初に綿の種子を伝えたのは隠元(1653年)といわれ、江戸時代中期の奈良盆地では、灌漑用水を利用した木綿の栽培が普及します。大和木綿と呼ばれた織物は摂津・河内とならぶ産地となりますが、慶長・寛永年間(1596~1644)ころ、木綿と並んで奈良晒とよばれる麻織物が生産されていきます。肌ざわりがよく、奈良、京都の神官や僧尼の衣に好まれ、大和の農村の副業として発展していきました。
原料の青苧(あおそ)は東北から取り寄せ、糸にすることを苧(お)うみといい、南都の般若寺村、疋田村が中心となりました。江戸中期には柳生で製造された蚊帳(かや)は奈良晒の伝統を継いだ麻製品でしたが、明治になり木綿製の「大和蚊帳」となります。現在、奈良晒は、のれん、がま口、さいふなどのお土産品として好まれています。