第21回 勝手に奈良検定
問題1 |
大和の新年は、この神社のご神火(しんか)祭で明けるといわれ、一年の祭り始めとして知られています。これは、どこの神社の何という名前のお祭りでしょう。 |
正解は「大神神社(おおみわじんじゃ)の繞道祭(にょうどうさい)」。
大和の正月は、大神神社のご神火祭で明けるといわれています。この繞道祭に用いられる「ご神火」は、新年午前零時に、拝殿東の方角にある三ツ鳥居奥で切り出されます。神官の手により拝殿の正面へと移された後「ご神火」出御となり、手松明から大松明へと火が移されます。氏子たちは、その大松明を担いで三輪山麓の摂末社を南へ北へと繞(めぐ)ります。
「ご神火」の火移しでは、待ち構えた数千人の参拝者が先を争ってご神火を移し取ります。この火を家庭に持ち帰り、神棚の灯明や雑煮の祝火に使うと一年間の無事息災といわれています。
問題2 |
一方、大和の国の一年を締めくくるのは春日若宮おん祭。1135(保延元)年に春日大社の境内に若宮社が造られ、翌年から若宮祭(おん祭)が始まりました。当時、この若宮社を造ったのは、何という名前のお寺でしょう。 |
正解は「興福寺」。
平安時代に入り都が移ってしまったことは、奈良諸寺にとっては大きな打撃でしたが、藤原摂政家の氏寺である興福寺は、以前同様大きな勢力を保っていました。11世紀後半に院政が始まると、摂政家は興福寺との結びつきを深め、興福寺の勢力はますます強まっていきます。神仏習合説をもとに、寺僧の社参などを通して春日社に進出、ついに保延元(1135)年には春日社の境内に若宮社を造り、興福寺が春日社と一体化していきました。
若宮祭(おん祭)はこの翌年から始まり、その実権を掌握しました。平安時代終わりころには、成長した僧兵を伴って比叡山延暦寺とも対立。朝廷摂政家に対しても、春日神木を繰り出して強訴するなど、強大な政治力をもっていくことになります。
問題3 |
12月16日、東大寺俊乗堂が特別公開されますが、このお堂に安置されているのは、何という名前の肖像でしょう。 |
正解は「俊乗坊重源上人」。
東大寺鐘楼の北側にある俊乗堂には、木造俊乗上人坐像(国宝)が安置されています。鎌倉時代、東大寺復興のために全身全霊を傾けた俊乗坊重源上人の晩年の姿です。前傾に頭を突き出し、背を丸くして胸前で数珠繰りする姿で、その表情は60歳を過ぎてから東大寺勧進職に任ぜられ、25年間にわたって粉骨砕身した上人の気骨がにじみ出る鎌倉時代を代表する彫刻です。
上人は、東大寺浄土堂86歳の生涯を閉じました。この像には銘文や記録が残されていませんが、卓抜な表現から、快慶あるいは運慶造像説が強く言われています。