第20回 勝手に奈良検定
問題1 |
平安時代の『大鏡』では当時の十五大寺にも数えられ、秋のコスモス迷路でも知られるこのお寺は、何という名前のお寺でしょう。 |
正解は「安倍文殊院」。
俗に「知恵の文殊さん」あるいは「安倍の文殊さん」と呼ばれている安倍文殊院。京都・天橋立切戸の文殊、山形・奥州亀岡の文殊とともに、日本三文殊のひとつです。朱塗りの山門をくぐると、文殊池のなかに浮かぶ六角形の浮見堂が美しく迎えてくれます。文殊院の南西300mに遺跡が残る安倍寺跡が、創建時の崇敬寺(すうきょうじ)で、鎌倉時代に現在地へ移されたといわれています。
快慶作の本尊「騎獅文殊菩薩像(きしもんじゅぼさつぞう)」は巨大な獅子に乗った姿で、高さ2m。脇侍の善財童子像(ぜんざいどうじぞう)・優填王像(うでんおうぞう)・須菩提像(すぼだいぞう)と合わせた四尊は、渡海文殊(とかいもんじゅ)の場面をあらわしています。知恵にあやかりたいという参詣者、受験合格を祈願する家族連れが一年を通して訪れます。
問題2 |
吉野・中千本山腹にあり、後醍醐天皇の勅願寺(ちょくがんじ)ともなった寺は、何という名前のお寺でしょう。 |
正解は、「如意輪寺(にょいりんじ)」。
如意輪寺は十世紀の創建で、後醍醐天皇の勅願寺でもあり、裏山の松林には無念の思いで崩御した天皇の御陵が、遺言によって京都に向かって建っています。
『太平記』によると、楠木正行(くすのきまさつら)が大坂四条畷(しじょうなわて)に出陣する際に訪れ、「かゑらじと かねておもへば 梓弓(あずさゆみ) なき数に入る 名をぞとどむる」と、堂の扉に矢じりで辞世の歌を残したとあります。南朝方の正行は足利軍を討つために、一族郎党143人を引き連れてこの地に来ましたが、戦いは一族ことごとく壮絶な死をとげることとなりました。この扉は宝物殿で見ることができます。
問題3 |
神社建築様式として現存する最古の春日造の建築物は、何というお寺の何という建物でしょう。 |
正解は「円成寺の春日堂と白山堂」。
春日造は、切妻造(きりつまづくり)、妻入(つまいり)の社殿正面に階隠(はしかくし)をつけたもので、全国的に多い流造(ながれづくり)に比べて、奈良県下に多く見られます。流造は切妻造、平入の建物正面に庇(ひさし)がついています。現存する最古の春日造本殿は、鎌倉時代初期に建立された円成寺春日堂・白山堂です。ともに一間社春日造・檜皮葺(ひわだぶき)で、国宝となっています。
中世から近世にかけて春日大社の本殿はほぼ二十年ごとに建て替えられ、旧社殿は春日社縁の地へ譲渡、移築されています。春日移しの本殿としては、崇道(すどう)天皇神社本殿、長尾神社本殿、夜支布(やぎゅう)山口神社摂社立磐神社本殿、比売久波(ひめくわ)神社本殿などがあります。