第3回 勝手に奈良検定
問題1 |
うっとうしい梅雨の季節。でも奈良にはそんなときこそ訪れて心洗われるお寺がたくさんあります。今昔物語にも登場し、写真の行事が行われる、梅雨の季節に咲く花の名所といったら、何寺? |
正解は梅雨の季節を彩るあじさいで知られる久米寺。
久米寺は、聖徳太子の弟にあたる来目皇子(くめのみこ)が建立したと伝える古寺。写真は毎年5月3日に行われる練供養(久米レンゾ)のようすで、農繁期の前に二十五菩薩にふんした人々が境内を練り歩く。「知り合いの菩薩」に声を掛けるなど、笑いが絶えない明るい行事でもある。当麻寺にも練供養があるが、こちらは5月14日。
久米寺の有名人は、なんといっても久米仙人だろう。飛行中、洗濯する女性のすねを見て、神通力を失い落下したという人間くさいエピソードはよく知られ、『今昔物語』や『徒然草』にもみえる。ちなみに神通力を失った仙人はその女性と幸せに暮らしたが、東大寺大仏殿建立にあたって建材を神通力で運び、これを助けたことから田を賜わり、そこに久米寺を建てたともいう。
問題2 |
660年、それは唐の先進技術を用いて日本で初めて作られました。それを正常に機能させるため、陰陽寮には博士も置かれています。さて、今も遺構が残る「それ」とはいったい何のこと? |
正解は水時計。
『日本書紀』によれば、日本で初めて水時計を作ったのは中大兄皇子(のちの天智天皇)で、660年、斉明天皇6年のときという。そして天智天皇10(671)年の4月25日(現在の6月10日)に、鐘や鼓で時が知らされた。これにちなみ、現在6月10日は時の記念日となっている。このとき作られた水時計を漏刻(ろうこく)と呼ぶ。漏刻の技術は当時の先進国、唐から輸入したものである。
1981年、明日香の水落遺跡でこの水時計の遺構(漏刻台)が発見された。遺構は正方形で中央に水槽を置き、その下に木樋と銅製の配水管が埋められ、陰陽寮におかれた二人の漏刻博士がこれを管理した。水槽の上には楼が築かれ、博士らが鐘をついて時を知らせたという。この楼は、天文台として使われたという説もある。橿原神宮前駅から周遊バスで15分、飛鳥バス停下車すぐ。
問題3 |
古代史上の超有名人。この人の名前は、生まれたときに狐があるものをくわえてやってきたことにちなむという。さて、この人物、いったい誰? |
正解は藤原鎌足。
645年の改新のクーデターで、中大兄皇子とともに蘇我入鹿を滅ぼした中臣鎌足そのひとである。死の直前に天智天皇から藤原の姓を賜った。この鎌足を祭神として祀るのが、多武峰にある談山神社。談山の名は、中大兄皇子と鎌足がクーデターの相談を行った場所であることに由来する。また神社から御破裂山へ登っていくと、鎌足の墓とされる陵がある。鎌足の長男の定慧(じょうえ)が鎌足の遺骨を摂津国から移し、木造十三重塔を建てたのが、談山神社のおこりという。
ところで神社の縁起を記した「多武峯縁起絵巻」には、鎌足が生まれるときに、どこからか鎌をくわえた白い狐が現われ、生まれた子の足元に置いたため、その子を「鎌子」(のちの鎌足)と名づけたと描かれている。このエピソードにちなみ、談山神社では鎌をくわえたかわいい白狐のお守りが売られている。