第2回 勝手に奈良検定
問題1 |
のどかな春の一日、見晴らしのいい場所に出かけました。 |
正解は奈良阪。
写真は山吹とコスモス、十三重の石塔で知られる般若寺の近くからパチリと撮ったもの。菜の花の向こうに見える大屋根は東大寺大仏殿の屋根。奈良阪は奈良と京都の境にあたり、いわば奈良の北の玄関口。京街道、また伊賀街道が分岐し、古くから交通の要衝として栄えてきた。
周辺には翁舞で知られる奈良豆彦神社(ならつひこじんじゃ)、日本初の福祉事業史跡・北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんと)、夕日観音など見どころも多い。家々が静かに軒を連ねる奈良阪界隈には、今も往時を偲ばせる街道の雰囲気が漂っている。
問題2 |
写真が撮られた場所からはずっと離れた山中で、修験道の行者が真言を唱えながら薬草を煮詰めてつくった真っ黒な薬。 |
正解は陀羅尼助(だらにすけ)。
奈良県南部、洞川(どろかわ)で健胃整腸剤として製薬が行われている伝統的な薬。キハダ、ゲンノショウコ、ガジュツなどを混ぜて作られ、真っ黒な色をしている。現在は丸薬だが、昔は竹皮に平たく延べ板状にして売られていた。
この薬はそもそも大峯や高野山などに修行する行者の間で作られていたもの。仏の真言である「陀羅尼」を唱えながら薬草を煮詰めていくため、この名前がついたという。1300年以前から伝わり、行者らが毎年大寒の日に作っていた。江戸時代には各地でこの薬が精製されたため、どれが本家本元の陀羅尼助なのか、大岡越前守に裁きを仰ぐ騒動まであったとか。ところで味の方はといえば、良薬口に苦しの言葉どおり、とても苦い!
問題3 |
最後はこの修験道の開祖について。 |
正解は役行者(えんのぎょうじゃ)。
名前を役小角(えんのおづぬ)といい、修験道(しゅげんどう)の開祖として今も全国の修験者(しゅげんじゃ)から崇敬を集める人物。その生涯は伝説に包まれており、文武天皇3(699)年、人を惑わすという弟子の讒言によって伊豆に流されたのが唯一残る記録(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)である。言い伝えでは、罪を許された後、大宝元(701)年に世を去ったという。
小角が生まれたのは、舒名天皇の6(634)年、大和国南葛城郡茅原(現御所市茅原)で、生家は賀茂一族の流れを汲むという。長じて元興寺に修行に入り、大峯などの奥深く険しい山々で修行を重ねた。後世、小角が超人的な人間として語られるようになったのは、修験者たちが修験道の隆盛とともに彼を神格化していったため。小角が根本道場として定めた大峯、そして大峯奥駈道では、今も厳しい修行の場として戒律が守られ、また数々の役行者由縁の場が残されている。